先の頁にあっては
「古代ギリシャ世界とは[蛇と暗喩的に結びつく神々]に人間の運命が操作されていることが示唆され、かつ、呻吟・呪詛されていた世界だった」
と述べ、その上で
「古代ギリシャ世界の神々と同様、【蛇象徴と結びつくもの】を崇めている(あるいは尊崇視させられている)のがフリーメーソンであり、そうもした「彼ら」のような存在が ―甚だしく危険なことに― 古代ギリシャ神話の命名規則に則った人類の破滅につながるプログラム上を走らされている」
と述べました(:上をもって初見とされている方は話の突拍子もなさから語り手 ―ここでは私― の正気を疑うかもしれませんが)。
本頁では上に言うところの
[フリーメーソン(の如き虚ろなる内省的思考伴わぬ人間の紐帯)が唯々諾々とその上を走らされていると判じられる古代ギリシャの神話的命名規則に則ったプログラム]
が何なのかについて ―図の紹介部を経たのち― (極々端的ながらも)述べることといたします(:尚、直下の図解部は立論の部ということで ―失礼ながら― 丁寧語を排しての語り口上をなします)。
古代ギリシャの支柱を契機に語れる蛇とフリーメーソンの関係についての図解
先ページでフリーメーソンが蛇崇拝と結びついていると述べたが、例えば、上のような図をもって「でも」そのようなことを「間接的に」指し示せもしようかと手前は考えている。線で結んだ箇所の間の関係性をよくよく追っていけば理解できるようなこととして
【ギリシャ神話時代の柱 ―(義務教育課程でドーリス式/イオニア式/コリント式といったそれらの名称について習ったことをご記憶の方もおろう)― の中に見られるとぐろを巻く蛇状の紋様】 ⇔ 【ドル札に見るフリーメーソン象徴 ―プロビデンスの目などとも俗称される三角形の中の一つ目の構図― とともに描かれた二匹の蛇を想起させる帯の部分】 ⇔ 【中世ヨーロッパで用いられていたアンフィスバエナ紋様(Amphisbaena:双頭の蛇あるいは竜の紋章)】
といった関係が成立「しうる」ことを述べんとしているのはお分かりいただけることか、と思う。そして、それは成立「しうる」というレベルよりありうべくもの度合いが高い、関係が成立していると[合理的に推論できもする]とのもの「でも」ある(と申し述べたいところである)。以下の如き理由より、である。
理由一.→フリーメーソンは[双頭の鷲]紋様を上位位階の印章に「目立って」取り入れているのだが、そちら[双頭の鷲]紋様に関してはロシア王朝時代初期の特定の[双頭の鷲]紋様に鷲というよりも[双頭の恐竜]紋様と視覚的に如実に見えるものが存在していたりと諸種事由より竜や蛇との接合性が見てとれるとのものである(:まるで恐竜か蛇かのようなビジュアルを呈しての(ときに鳥類らしからぬ[巻き舌]を出す)双頭の鷲のありようについては、である.世界史の授業でも日本のお受験志向の高校生なぞがその名と事績の端的暗記を強いられるところのロシアの英雄、【(チンギス帝国の残存勢力による)タタールのくびき】からロシア一帯を解放したとされる著名なイヴァン3世にまつわる英文Wikipedia[ Ivan III of Russia ]項目におけるイヴァン大帝紋章(Seal)の復元図像などを参照されたい/またロシア政体はロマノフの帝政ロシアから今日に至るまで「竜」退治のゲオルギウスと双頭の鷲を双方入れ込んでの国家表象紋章を採用してきた)。 フリーメーソン象徴にも転用されている[双頭の鷲]、それがときに竜とも視覚的に接合している(再言するがロシア国体紋章などでは[双頭の鷲]は[竜]と[竜退治のゲオルギウス]とワンセットに描かれている)という観点から同ダブル・ヘディッド・イーグルは(紋章学にいうところの)【アンフィスバエナ ―双頭の竜ないし蛇― 】にも通じうるものである(と解される)。そこから[アンフィスバエナに通じうる双頭の鷲紋様を上位位階の紋章体系に「根深くも」取り込んでいるフリーメーソン]が一ドル札に[ピラミッドと目の象徴]という組織表象シンボルと通ずるものと合わせもして同じくの一ドル札に ―上に図示しているように― アンフィスバエナ紋様状構造を用いさせ「られている」とも(「それ単体だけで述べれば」飛躍が目につくところであろうが)推論できもする。
理由二.→メデューサ・ゴルゴンの類を魔除けの類として神殿に彫り込み、また、その支柱たる柱(柱はフリーメーソンが非常に重視するものでもある)に蛇状のものを刻んでいたとの古代ギリシャ文明が[明示的または隠喩的なる「蛇」紋様]で溢れていたのに対し、ロッジ、いわばもってしての彼らの神殿におけるフリーメーソンの象徴体系も[明示的・隠喩的「蛇」紋様]で溢れているとの指摘がなされている(については[彼らの間の常識の世界]でそのようなことにどういう意味付けが与えられているかは前頁で一言だけ言及した)。 であるから、上図にて線で結んだ繋がりあいもまたその文脈の範疇内のものであると考えることとて行き過ぎた視点の発露にすぎぬとは言えない。
以上をもって
「上掲図像間のレベルでギリシャからもフリーメーソン ―その特定ロッジ(交流会館)の内部の壁面に蛇ののたうつ様が描かれていたりもされるとの証言が内部者関係書籍によってなされている組織体― へと流れる[蛇崇拝絡みの暗流]が存在していうる」
とのことを"極々部分的に"訴求したとのつもりなのではあるが(:そも、[蛇崇拝の人類史]と[フリーメーソンの象徴体系]を複合顧慮すれば、フリーメーソンがオムニシャント・オブ・ゴッド、[すべてを知る万智を帯びた一つ目紋様の諸領域での顕現]と重んじ彼らエプロンに執拗に刻んでいたりする(刻ま「されたり」している)象徴 ―天から覗く神の目― からして(ピラミッドを建立した)古来エジプトではホルスの象徴以前に[「蛇の」神ウアジェトの象徴物]であったことが知られているとのものであるといったこともある)、 敢えてものこととして[確実視されるわけでもない、という意味で[(古代ギリシャに隠然として影を落としていた)蛇崇拝に隠示的に通ずる「特定紐帯」の象徴体系]にまつわっての根拠弱き話(推論にとどまっての話)]をなしたのには「わけ」がある。そう、[フリーメーソンの蛇崇拝に隠然と結合するシンボリズム]の話を端的になしもしたのには本サイトにあってギリシャ時代の柱を目立つように配しているとのこと、そのことにおける[何故そうもしているのか]ということに通ずる「わけ」があるのである。 に関しては、すなわち、当サイト上にあってギリシャ時代の柱を目立つように配置したとのことに関しては、問題とせんとしている、
[フリーメーソン(のような糸繰り人形のそれの如き紐帯)を動かすギリシャ時代と関わるプログラム](「こちらは確実に存在している」と指し示せてしまうとのものでもあるプログラム)
が[柱]とも[蛇の眷属退治]の英雄とも深く関わっていると指摘可能なものであるからであり、そのことを柱の図を目立つように抜粋することで訴求したいとの思惑がありもし、それゆえ、[柱]と[蛇崇拝]の話を(問題となる相応のシンボリズムを採用している)フリーメーソンリーとの絡みで(そちらは話として推論にとどまるのだが)敢えてもなしたとのことがあるのである(:私はフリーメーソンなどではないが、誤解を恐れずに強調をなす必要を感じた、という要素が[柱]にはある ― Although I am not a member of Freemasonry,( I abhor freemasonry) , I heve
cited greek pillars and masonic symbols like them on this page to awake
readers from a state of ignorance. ― 。尚、メーソンは柱の問題性につき知ってか知らでか、今日にあっても[ギリシャの柱そのもの]の構造を執拗に[ソロモン神殿]との絡みで多用し続けている)。
間に挟んだ図解部が長くはなりましたが、
[フリーメーソン(の如き自主性喪失の紐帯)がその上を走らされている古代ギリシャの神話的命名規則に則った人類の破滅につながるプログラム]
が何なのかについて語るうえで重要なキーワードは
[アトラス]
[(【多頭蛇の眷属退治の英雄】でもある)ヘラクレス(の十二の功業)]
となります。
[アトラス]についてはその神話上の立ち位置にどれほどの通用度が(世間一般で)あるかいま一つ測りかねますが
[ギリシャ神話に登場する天界の支え人としての巨人]
となります。
もう一方の[ヘラクレス(の十二の功業)]は
[ギリシャ神話の半神半人の英雄ヘラクレス(に課せられた著名な試練)]
となります。
以上、重要なキーワードを挙げたうえで結論だけを端的に述べれば、こういうことです。
「フリーメーソン人脈(のような糸繰り人形がかっての紐帯)の挙動およびその特定象徴主義が[ヘラクレスの冒険]、なかんずく、[アトラスが登場する"11"番目の冒険の前後の冒険]に極めて重大な側面で接続「させてられ」ていると摘示可能である。小は核ミサイルの命名や大型倒産事件まわりの役者の顔ぶれ選定から大は様々な組織に浸透した"駒"を用いて起こした大量殺人劇、911の事件 (:同[911の事件]事件は無論、常識の世界では[イスラムのラディカル・セクト ―ヘラクレスの別称アルカイオス、及び、ヒジュラ暦の"11"月「ズー・アル・カイーダ」とも語源近しきアルカイダ― による反米テロ]以上のものではない、ということにされている) に至るまでそうである。そうしたヘラクレスの冒険とつながる【儀式的ありよう】の先にあるものは ―合理的に― 人類の破滅をきたすものであると推し量れる」
もっと言えば、
「フリーメーソンの象徴主義はヘラクレスの11番目の冒険に登場したアトラスを崩す方向 ―コンセンサンス(協約)― と(隠喩的に)通ずるものとなっている。アトラスが崩れるということは天が落ちてくるが如きの大災害現出と結びつくが、現実にそうなりかねないという状況下にある」
常識人が一笑に付したがるような馬鹿げたこととを述べている。それは十二分に承知の上ではあります(そも、911がイスラム・セクト由来のテロではなかった、糸繰り人形を動かす力学のそれなりの思惑の発露であったと述べている時点で常識の世界では[唯一人とてまともな人間がいない、といった人種である陰謀論者]の話柄と同種同文のものと看做されうるか、と見ます)。
ですが、
「客観的な証拠を目の前に目をつぶるのは愚か者か狂人の所業、あるいは、臆病者の逃避だ」
と舌鋒鋭く述べつつ揚言しますも、上にまつわる客観的証拠は不動にして量的にも膨大なものとなります。しかも、容易に検証可能なものとなります(ただ、臆病者ばかりが目立つこの世界ではそうした考えればすぐに分かる状況であるのに誰も国内外で立証をなしてこなかったという状況にありもします ―私より前にそういったことを指摘していた欧米人は何人かウェブ上に散見されますが、彼らとて客観的立証は「何故かしてくれず」現在に至るまで[極々限定的なる結論部]だけ述べるにとどまっています。ちなみに、私のような"外部"の人間ではなくフリーメーソンの内部の者達にはそれについて知っている膨大な数の人間がいそうなのですが(というのも既に実現してきた予見的言及に数多彼らの象徴図式とオーバラップする構造がされているとのことがあるからです)、オンライン上の言論動態などを望見するに彼らは身内間で隠喩的言及をなすにとどまり、その卑劣なるやり口に憤りを覚えさせる以上のことをしてはいません― )。
・アトラスを崩す方向でフリーメーソン(の如き自由なき紐帯)が動かされていること。
・私流の用語で言えば、フリーメーソン(の如き自由なき紐帯)が【アトラス・プログラム】上を走らされていること。
にまつわっての極部分的なる話をすれば、例えば、次のようなことがあります。
「SF小説界の大家としてその名が知れ渡っている故アーサー・C・クラークはその1970年代のとある作品と1990年代のとある作品に暗号的なる結節点を設けていた。
そこにいう結節点とはアトラスとヘラクレスにまつわるギリシャ神話上の物語、ヘラクレスの第11番目の冒険がらみのものであるが、クラークはそうした結節点でつながる小説の中に次のような筋立て"をも"盛り込んでもいた。
[シリウス星系に住まう知的生命体とコンタクトをとっていると妄信する宗教勢力が小惑星の地球への衝突を防止するためのアトラス ―マス・ドライバー装置― を爆破した]
ここで着目すべきはシリウスとコンタクトをとっているとされる存在、アトラスを爆破した存在がキリスト教とイスラム教が和合した宗教勢力との作中設定から離れ、実は ―事情通には― フリーメーソンの隠喩となっていることにある。フリーメーソンにはシリウスに住まう知的生命体とコンタクトをとっているという秘教思潮が ―そのような馬鹿げて聞こえる話が真実かどうかはこの際、問題にならない― 存在しているからである(私は解説注力用媒体で具体的出典を出しそのことを指摘している)。
以上はフリーメーソンがアトラスを神話とは逆にアトラスを破壊する(あるいは[天の支え人]としてのアトラスで示唆される存在の崩壊でもって大災害をもたらす)コンセンサス ―邪悪な協約― で動かされていることを指し示している」
「欧米で数十年前に物議を醸した小説として『イルミナティ三部作』がある(いわゆる『イルミナタス・トリロジー』.同作、つい最近になって、ようやっと邦訳された作品でもある:尚、私はイルミナティの現存についてとやかくする陰謀論者などではない)。
その『イルミナタス・トリロジー』、原著はフリーメーソンの象徴で満ち満ちた作品であったのだが、と同時に、
[数十年後に起こった911の事件の事前言及作品]
でもあった。
そして、『イルミナティ三部作』の911の事前言及それ自体にヘラクレスの11番目の冒険、ヘラクレスとアトラスの物語に登場する神話上のモチーフが関係している」
いかがでしょうか。フリーメーソン(のような人的紐帯)がアトラス・プログラムの上を走らされていることの「片鱗」だけでも上の極々わずかな例からも見て取っていただけたのではないでしょうか(ここ本頁では直上表記のことらについて検証可能なる典拠を指し示しているわけでもございませんから希望的観測の問題として「片鱗」を見て取っていただけたのではと申し述べさせていただいております)。 尚、たかだかもの上のことによってでさえ端的に示すことが出来る話を説得力あるものとして成り立たしめる[具体的証拠の山]については私が設けている下のドメイン名のブログなどをご覧ください(正常な状況であれば、下の文字列を検索エンジンに入力することで内容閲覧いただけます)。
より詳しき解説に終始している媒体もより以前から私の方で提供しておりますが、[本サイト上の他所で紹介しもしているそちらの他媒体]が難解な内容を多々、含むとの他からの指摘もあって構築した上ドメイン名のブログの関連記事を読まれるだけで実に多くのことをご理解頂けるはず。そう揚言いたします。
さて、ここまでで
[最初にお伝えしたきこと]
と題した本パートで説明すべきと見た、
[本サイトを構築し、本サイトで紹介している当社、名利嚼蝋出版株式会社 ―私が代表を務めます会社― を設立した動機]
について多くを(委細を全て端折りながらも、そして、行き過ぎての申しようをなしつつも)申し述べたつもりです。 すなわち、
「911の事件とてその一環として起こされたにすぎなきアトラス・プログラム ―再三再四、述べますが、[大災厄現出といったことにまつわる語]としては私の造語です― に則り、人類に大災厄をもたらす動きが存在している。そのことを告発するための媒体を構築せねばならない」
という観点について多くを申し述べたつもりです。
その点、法人化(2011年年末時点をもってしての当社設立)未満の段階ですでに解説サイトは提供していたのですが、それを
[初動段階]
として法人を設立したのには
『情報を効率的かつ常識的に提供するのは法人形態が望ましい』
という想いが当初よりあったことが強く影響してもいます。
ともあれ、私としては本頁で述べたような動機によって生まれ、別途、述べているような理念によって支えられもしている我が子としての当社、名利嚼蝋出版が世間のために役立たんことを祈るばかりです。そのための活動には寸暇を惜しまぬ所存ですが、肝心要なのはこの世界の限界に挑もうという意気があまねく皆様に浸透していることであると定置。冷笑や無視ではなく当社の活動に賛意を表していただけるよう、何卒、御願い申し上げる次第です。
※後日にあっての「極めて長くもなっての」追記(Postscript)としまして
ここ当サイト当ページの筆致にあって「も」そうした風が強くもあらわれて「いた」 ―過去形として「いた」とご理解いただきたき仕儀です― ようなところとしまして
【フリーメーソンにおける(人類に相応の状況をもたらすことを意志表示すべくもの)[儀式的挙動]におけるコミットの根深さ】
を語気・筆圧強くも「過分に」強調しすぎているとの色合いがこの身言辞には(書き手てずから申し述べますところとして)見受けられるようになっています。
ですが、わたくしには、「現行」(ここ追記部を記していますとの「現行」)、
「フリーメーソンにまつわっての陰謀「論」めかしたものと世間的に見なされる(あるいはそういう風に見えると揶揄・批判される)視点を前面に出しすぎるのは賢明ではない」
との視点が芽生えてもしています ―(聞き手・読み手銘々におかれて疑義を全く生じさせない説明の語り手としての立ち位置におのれを置きたいと考えている者としてこの身にありましてはそうもした視点が芽生えもしてきています)― 。
その点もってして
[【自由】など当該組織おきまりの題目に反してなんら有していない、【やらせ】にて没義道の所行ばかりを(偽善欺瞞の影に隠れて)実行してきたとのことが語られ、また、事実、その一部兇状が露顕してきた(e.g.この身が当サイトで公開している媒体にも主流ジャーナリストの筆になる報道されようを紹介のように戦後イタリアでの多くの人間を殺している自作自演での何件かの白色系爆破テロ主導のやりようが露顕してきた)とのフリーメーソンリーの紐帯] (:卑近なことに敢えてもってかこつけてもして揶揄するように述べれば、幼き精神構造の存在でありながらも首つりをして復活を遂げた【一つ目のともだち】が悪行を働くとの同時多発テロを扱った国内(映画化)漫画作品の内容ではありませんが、組織入会者らが【目隠しをさせられた首つりの絞首刑人の役割】を必ず演じさせられ、の折、目隠しをとられて(光を与えられて)そうもした状況から恢復させられるとのプロセスがそのまさに入門徒弟位階(エンタード・アプレンティス)にて「必ず」経験させられるとのことが一部によく知られている(当サイト公開媒体でも19世紀後半書籍からして見られる、についての解説されようを引いているところともなります)とのおともだちの紐帯である「友愛の」フリーメーソンリーの紐帯)
に対して[恐れ]ないしは[寛恕]の心境を抱くに至ったがゆえにフリーメーソンやりように関しての言辞を差し控えるべきかと判じたのではな断じてなく、そう、本質的に譲歩すべきではない存在に対する[畏怖]や[寛容さ]の問題ではなくに直下下述のような判断をなすに至ったとのことがあるために
【(多く非人間的なものであれ)人間レベルのフリーメーソンの紐帯】
の問題を強調しすぎる方向を望ましくはないと考えるに至っているのです。
(フリーメ―ソンリーのやりようを主色として問題視するとのことが賢明ではなかろうと判じもしている理由として)
「そもそも【儀式的挙動】におけるフリーメーソンのような紐帯に属する一部人間らの犯罪的コミットの度合いを強くも論ずることは ―彼らが従犯(幇助犯)の類としてそこに関わっていると判じられる(だけの「具体的」材料がある)のだとしても― 【本質】たること「ではない」ことに固執することと同義である。【本質】として問題となることはカルト宗教団体(他称としてのカルトでもいい)や秘密結社の類が何故、奇っ怪なるものとして、そして、あまりにも不合理なものとしてながらも現実世界に存在している(存在し続けてきた)のかとのこと「にも」根本として通ずるまさにその元凶にあるところの【力学】、その【力学】それ自体が相応の宣言を執拗になしている、[時限性のものとして育て上げた種族]に相応の最期を進呈しようとの害意にあふれた意志表明なしつつもの宣言を執拗になしていると捕捉・指摘できるようになっている(なって「しまっている」)とのそのことであり、そこにいう宣言が「既に実現を見てきている」とのあまりにも異様なる予見的言及らとワンセットになっているとのことである。その点もってして種族 ―人類― に最期を進呈しようとの「執拗で」「実行力を伴い」「既に実現を見てきた他害行為とワンセットになっている」意志表示がなされているとのことを指し示す事実らがそこにあるのならば、そして、そうもした事実らが多角的多重的にあまりにも巧妙に密接に結合しているとのことを遺漏なくも示せるのならば(実際にあまりにも悲惨なるありようとしてそのことが示せてしまう)、世間一般に陰謀「論」の領域と見なされるような申しよう、フリーメーソンのような紐帯の不品行についての強調をなすとの申しようを過度になす必要など「そもそも」ない(実験室ゴム手袋のようなものであれ、とにかくもってして不快なる紐帯の「世間的に不確実視されかねない」ありよう・やりようと[すべての元凶たる【力学】]の重大な顕在化動向を結びつけて論じるのは(必要ないばかりか)マイナスにすらなりうる、陳腐化をはかる相応の人間性希薄なる者達(を動かす【力学】)の工作による滑稽な陰謀論に貶めての陳腐化を許す脆弱性に通ずるとの意でも賢明ではない)」
以上のような観点あって
【訴求なそうと考えていることの典拠を膨大な紙幅を割いて呈示することに注力しているとの長大な指し示し文書】
にあって「も」フリーメーソンの紐帯にまつわる自身目分量(意固地に凝り固まっての信念体系、硬直的self-belief-systemとされるとの誤解も世間一般の観点からはやむなしかと見てもいる目分量)を必要以上に押しつけする「つもりはない」との付記を[改善点]にまつわるところとして目立つようになすこととしました(に付随して、同じくもの長大な典拠呈示文書の中で従前手前のその伝での陰謀「論」がかって聞こえもしようとの主張ありようについて「悪い意味で行き過ぎたところが多々あった」とくどくも申し伝えさせていただくこととしております)。
以上表記のようなことを断りもしたことが何故もってして意をなしてくるのか、読み手がいかなる立ち位置にあろうとも、そして、この身、筆者の「ような」人間をして好かぬとの属人的特性を帯びていようとも、とにかくも、最重要事項について訴求しているとの文書である以下文書の内容 ―四巻構成をとる全編での論拠呈示文書― の検証を求めたいとの次第です。
(論拠呈示文書らは以下の当サイト内遷移先にて公開しています)
→
典拠紹介に特化させもしてのPDF文書はこちらより(クリックすることでページ遷移)
※I.上にての追記に対する補ってもの表記として
上にあっては
「フリーメーソンにまつわる陰謀論がかっての言辞をトーンダウンする必要があると判じもし(その理由としては陰謀論における不毛領域 ― the sterile land of conspiracy theorists― と完全に決別する必要がある、陰謀論の展開者と一味同仁と見られると危険なる状況の告発に障りが出るとの認識があるためとなる)、 「事実」、最も重要なるものと定置しての直近作製の論拠呈示文書でもその文中にてその旨、断っている」
との記述をなしもしてはいますが、ただし、当サイトを通じて公開することとしました(まさしくも問題となることを入念に解説しているとの)PDFファイル形式文書の中にあって「も」典拠を逐一細かくも挙げながらも詳述していもしますところとして、そして、そちら典拠挙げつつもの詳述内容を検証していただきたいところとして
[フリーメーソンのような紐帯の悪辣性の問題]
と裏表にある(と頭が働いているのならば判断できもしよう)との次のことらもが現実に「ある」 ―第三者が容易に後追い可能なる典拠に基づいて指し示せるところの事実としてある― との告発をもなしています。
・1.異様なることながらも【911の事件の予見的作品】との態様を呈した作品らがいくつも我々の生きるこの世界には存在している。そして、うち、そこに含まれる複数の作品らにあって見受けられる特性として【911予見描写】それら自体が【フリーメーソンの象徴図画体系】(トレーシングボードと呼ばれる教義習得用図画像)とそのままに重なる、露骨に重なるとの構図となっているとのことが「ある」。
(:たとえば、著名映画作品を収録したDVDの何時何分何秒を確認することで予見的描写 ―【191などとの数値とも関わるところでワールド・トレード・センターにてのビル「爆破」倒壊事件を引き起こすとの筋目のすさまじい予見的描写】― が容易に後追い可能なるものとして確認できるとのこと、そのことにまつわっての典拠紹介をここ当サイトにても公開している典拠呈示特化PDF文書の中でなしもしているのですが、あるいはまた、著名コミック作品 ―よりにもよって日本国内流通の著名コミック作品― の何巻何ページを確認することで同じくもの式が具現化しているとの典拠紹介をなしもしているのですが、いいでしょうか、それら検証容易なる予見「的」描写らそれ自体が露骨にフリーメーソンの共通のシンボル体系(エンタード・アプレンティス位階のシンボル体系)と重なるかたちとなっているとのことがこれまた確認可能となっているとのことがありもするのがこの世界となります ―すべて典拠呈示していることとなりますので、『嘘であろう?』と感じた(自然なる反応かと思われます)との向きにあられて「も」直上にてダウンロードリンクを設けているPDF文書の内容を検証いただきたい次第です― )
(→注記;映像証跡・文献記録の問題としての記録的事実としてメーソン・シンボリズムと露骨に重なる予見的描写がなされているとのこと、上にて(委細をPDF文書に譲ったうえで)言及しておりますが、勘違いなきように。私はそうもした予見的描写がたかだかもってしてのフリーメーソンによって具現化しているのだと述べているわけではありません(セルフ・フルフィリング・プロフェシー・オブ・フリーメーソンリー、フリーメーソンの自作自演の可能性を問題視しているのではなくフリーメーソンを動かす力学の業(わざ)を問題視しているのです)。その点もってして「非」人間的【力学】が介在しなければ、そうしたことは具現化しなかろうとの視点をこの身は有しております ―問題はその【力学】が人間に対してどういう帰結を用意しているのかということとなりもする、と申し述べもしつつ、断りもしておきたきところとして、です― )
・2.上にて表記のフリーメーソン・シンボリズムと通ずる予見描写は、一部、[ソロモン神殿の柱のシンボリズム]がツインタワーに仮託されているとの形態をとるものともなっている。
(その点もってしてフリーメーソンにとって【ソロモン神殿】とはまさに組織の教義の中枢をなすものであることが欧米では広く知られているものであり(フリーメーソンの交流会館であるロッジはすべてこれソロモン神殿に倣って構築されているといった式の言われようがなされていたりするぐらいに【ソロモン神殿】とはフリーメーソンリーにとり重きをなすものとなります ―同じくものことの委細も公開PDF文書の中で細やかに(典拠挙げながら)解説しています― )
・3.一般に流布された(明示されての)フリーメーソンの内部者お手製の書籍らでも解説されているようにフリーメーソンリー基本位階の上に位置する特定上位位階(ロイヤル・アーチ位階)ではソロモン神殿の瓦礫の中から【「新しき」理想王国】が産まれるとの思考法がすり込まれる、トレーシング・ボード(フリーメーソン教義の伝達用図画像)を通じてすり込まれるとのことがある。そして、(繰り返しもするも)、諸種様々な911の予見事物ら ―存在しているだに異様なる911の事件が起こることを予見しているとのかたちの作品ら― の中の一部では予見描写それ自体でもってして【崩れたツインタワーらがソロモン神殿の面前の柱に仮託されている】と述べられるだけの側面が伴っている。また、(当サイトを通じて公開のPDF文書の中で詳述しているところとして)発破倒壊説が根強く取り沙汰されてきたのが(旧)ワールド・トレード・センター第七ビルなのであるも、同ビル別称はソロモン・ビルとなっているとの案配にてテナントの主要な借り手をソロモンの名を冠する証券会社ソロモン・ブラザーズとしていた。
911の事件 ―(同911の事件、宗教的狂人らの暴挙を奇貨にしてかあるいははなからそうした暴挙が人間レベルですら計算尽くであったのかかねてより仕込まれていた発破倒壊プランが七棟のビルらのいくつかあるいは全部で実施されたとの欧米建築・爆発物専門家団体よりの爆発態様についての意見具申と再調査署名活動が行われているような事件であり、また、事件発生直後、極めて堅牢なる飛行機フライトレーダーすらもが消滅した大惨事の中でツインタワーに突撃した飛行機乗り合わせのハイジャック犯らのパスポートが最も焼尽しやすい紙との物質ながらも匿名の通行人に発見されもしてそのことがメディアによって拡声されもしていた、そしてイスラム・ラディカル・セクト特定人脈の問題が当初より強くも前面に出された(他所詳述)といったことが確かに実にもって「不思議」なる事件ともなります)― 、同911の事件の発生(および露骨なる事後演出)といったことについてフリーメーソンに問題の根が集約しているとの誤解をもたらす式は妥当ではない、たかだかもの陰謀論がかっての言説に重要な指摘を貶める材料を相応の者達に与えかねないとの意で妥当ではないと最前にて申し述べましたが、とにかくも、以上、1.から3.のこと、および、それを補ってあまりあるだけの関連することらの解説も当サイトを通じてダウンロード可能としているPDF文書中でなしているとのこと、ここに断らさせていただきます。
※II.さらにもの追記部に対する補ってもの表記として(英文を読み解くに苦労しない、あるいは、英文読解力不足を補うだけの向学心をお持ちの方へ)
再言いたしますところとして、フリーメーソンリー(の如き紐帯)の悪質性こそが問題となることであると(それが主色であるかのように)論ずることについてトーンダウンをなす必要があるとの認識が現時あると(ここ脇にての追記部にて)上に申し述べもしましたが、一応断っておきたきところとして、
【フリーメーソンの象徴主義に通ずる異様なる儀式的側面の(「非人間的」)具現化】
について論じようとの話柄は(一般論として)無条件に[捨て置くべきこと]でもなければ、また、それは筆者この身に特有の話柄でもないとのことがあり、さらに述べれば、最近より出始めた新手の言辞・言動でもありません。
同じくもの話柄・言いようの伝(フリーメーソンの象徴主義に通ずる異様なる儀式的側面の(「非人間的」)具現化との話柄・言いようの伝)は ―の、中で何を主軸に置くかは話者特性によりて変異するのですが― 911の事件が発生した折柄より「かなり前」、もう何十年も前に発信されていた言動からして見てとれるとのものとなっています(:ただし現行の筆者のようにそれが[人間に本当の意味での闇を進呈しようとの意志表示上のプログラムにすぎない]と言い切っているとの筋合いの人間は絶無であり、誰も彼もが多く新世界秩序の指向との申し分をなしたり(ちなみに、書きようからお分かりいただけることかと存じますが、この身はニューワールド陰謀論者などでは断じてございません I never be a New World Order Conspiracy Theoryist.)、あるいは、スターゲートのオープンだ、などと普通に考えれば意味不明瞭な申し分をなしたりと残念なありようしか目につきません)。
その点もってして「これは私の主張に重大なところで影響を与えているところではありませんが、」と断りもしたきところとして、たとえば、フリーメーソン(を動かす力学)がいかように儀式的挙動を呈しもするのかについては「かなり前」80年代から主張・指摘されてきたとのことがあり、に関しては、特段に紹介させていただきたきところとして、
King Kill 33(一般には陰謀論者( Conspiracy Theorist )、しかも、【最もありえなさそうなことをあり得るように見せる才知に長けた陰謀論者】などとして認知・鼓吹されている James Shelby Downardという人物の手になる論考/ Unreliable Source[信頼の置けない出典]としての側面をすくなからず帯びているも、が、見るべきところも多々あるとこの身手前からして申し述べたくもあるとの論考)
という米国論客の文書を(オンライン上でも簡略化版が「現行」頒布されているような流布されたものとなるところとして)ご覧いただければ、と考えている次第です。
(:上にてより紹介の文書 King Kill 33 ―初出は Apocalypse Cultureとの八〇年代後半に世に出たocculticかつ終末論的な題材を扱った書籍における内包文書であるところの論考― の脇に Unreliable Source[信頼の置けない出典]と記載しているのは同書にあって【不正確性】および【検証不可能性】との特性が目につくとのことがあるがゆえです。流通PDF版を検証しようといった格別に興味ある向き以外放念いただいてもかまいません、そういった仕儀の細々くだくだしくものこととはなるのですが、そちら【不正確性】および【検証不可能性】との特性について書けば、
「エルサレムにある旧ソロモン神殿が(メーソンの思潮はどうあれ)北緯33度に位置していた」
とのことを重視しているような書きようをなしているとのところが同論考(『キング・キル・サーティースリー』)にあって致命的に紛らわしいとの欠陥となっていたり(【エルサレムのソロモン神殿】およびその遺構に位置している【嘆きの壁】や【岩のドーム】は「現実には」北緯35°に存する)、あるいはまた、
「ケネディ殺害犯とされるオズワルドを公衆の面前で殺したジャック・ルビーにまつわる命名規則に通ずるとの街、過去に凄惨な事件が起こった廃村ルビー・タウンが【ケネディ・マウンテンおよびジョンソン・マウンテン(ケネディ暗殺後、大統領になったジョンソンの名を冠する高地)との二つの高地に通じている地】として【(『キング・キル・サーティー・スリー』をものした著者が最重要視している)テキサス(ダラス)→ニュー・メキシコ→アリゾナの東から西への北緯32°から33°の問題となるライン】に位置しているとの論考内表記にも事実との食い違いがある(過去に凄惨な殺し合いで有名になった Town of Rubyなる地所は確かにある(たかだかもってしての英文Wikipedia程度のものにも歴史的襲撃事件に見舞われた国境の廃村として紹介されていることとなる)のであるも、の遺構の緯度は32°(incorrect)→31°(correct)と解されるようになっている)
等々といったかたちで当該著作記述に『悪質な確信犯的やりようではないか』とさえとれてしまう事実関係との齟齬が見て取れるとのことがあったりもします。
また、『どうしてここでそうなのか』とのかたちで同論考には[後追い不可能]なる点が多いとのこともあります。
については一例として次の表記らが重要なことであるにも関わらず後追い困難となっています。
→【後追い困難な点としての「第一」.テキサス・ダラスにてケネディが暗殺される前に逗留したホテルは沿革としてフリーメーソンに「濃厚に」結びつくテキサス内包都市ヒューストンのライス・ホテルとなり、そのライス・ホテルが大統領云々以前に昔から[ジョン・ケネディ](暗殺された当の大統領と同じジョン・ケネディという名)と結びつく地所となっているとのことがあり、また、(そのライス・ホテルが存する)テキサス・ヒューストンの都市名由来となっているフリーメーソン政治家サミュエル・ヒューストン(一時合衆国から独立していたテキサス共和国の初代大統領である米国史で極めて重きをなす政治家)の名を冠する椅子(サム・ヒューストン・チェア)とジョン・ケネディ(殺された大統領と同一名の別人の名称)の名を冠する椅子(ジョン・ケネディ・チェア)がそのライス・ホテルにて(大統領暗殺勃発より「かなり前」の)20世紀前半よりの慣行として相互序列を重くも見られるものとして存在していた(と解せられる表記が『キング・キル・サーティ・スリー』上になされている)、そして、そのことはフリーメーソン・ロッジにおけるマスター・メーソンの象徴でもある椅子(チェア)との兼ね合いでも重きをなしてくることである】 (右のことのうち、[フリーメーソンと縁深くも結びつく物件たるライスホテルの椅子 ―サム・ヒューストン(メーソン大御所)チェアとジョン・ケネディ・チェアら― を巡る序列の話]と[(ケネディが暗殺される前に逗留した)ライスホテルとジョン・ケネディとのかつて存在していた(らしい)人間の名の関係性を巡る話]は現行は「後追い困難」となっています.なおもってしてケネディ暗殺の後に大統領に昇格した副大統領ジョンソンはまさに問題とされているライス・ホテル(メーソンとゆかりあるとされているホテル)が存在しているテキサスはヒューストン出身の政治屋にして著名なフリーメーソンリー成員であった(ジョンソンは自身と同じ名を冠するテキサス州ジョンソンシティのロッジにてフリーメーソンリーに入会したとされている)とのことまでは[表通りにて通念化した話]としてよく知られているところとなっており、また、リンドン・ジョンソンがケネディ殺害勢力の黒幕の一人であったとの説も(メーソン陰謀論とは無縁なものとして)現行では幅広くも取り沙汰されています)。
→【後追い困難な点としての「第二」.ケネディを殺した暗殺者が陣取った教科書ビルは元来フリーメーソンの取り壊されたロッジの所在地であった】 (これも同じくものことを示す古資料が、そも、現行、オンライン上では見つからないところとなります)。
以上のようにそれらが多く仮に本当ならば、はきと述べて、ケネディ殺しは確かにメーソンお手製儀式、しかも、あまりにも非人間的な世代を超えて人間の運命を手繰る【力学】が顕在化しもしている儀式とのにおいを俄然帯びてくるとの記載が『キング・キル・サーティスリー』にはなされているのですが(ここで首をかしげられるようでしたら最前直上にて表記のことの内容をもう一度お読みください ―直上ではケネディは元来フリーメーソンロッジだった場所(教科書ビル)から銃撃されて死んだが、殺されたそのジョン・ケネディの名を冠する椅子がメーソン政治家の椅子と秤量されてきた沿革を伴うメーソンゆかりの地所(ライス・ホテル)にケネディは暗殺前に逗留しており、また、そちら地所を含むヒューストン出身政治家がリンドン・ジョンソンとなりもし、同ジョンソン、公式に知られたフリーメーソンリー成員にして、また、(メーソンとは無縁ながらも)ケネディ暗殺黒幕の一人と後ろ指さされている向きともなる、そのことが問題になるとの記載をなしています― )、 そこを隔靴掻痒の感あり、後追いできないとのかたちになってもいるのです(なおもってしてそうした後追いができないことの欠点に目をつぶった上で『キング・キル・サーティスリー』の作者申し分にそれでも真実がそれなりに含まれていると想定するならば、確かにケネディ殺しは(さらに一歩進んで)【シェイクスピア戯曲『マクベス』の三人の悪しき魔女に通ずる不愉快極まりない儀式的挙動】であったとのことになるとの『キング・キル・サーティー・スリー』著者の異様な言い分「にも」見るべきところがあるとのことになる、「というのも、」副大統領ジョンソンやケネディ彼自身、そして、ケネディ暗殺に地理的に通ずる地所ら(三十三°、三十二°線に存在すると紹介されている一連の地所ら)にシェイクスピアや戯曲『マクベス』との繋がりあいがあるとの論考 King kill 33における話に見るべき点があると受け取れるからですが、といったことはここでは置きます)
とにかくもってして、です。現行、オンライン上にも流通している上論考 King Kill 33にあっては ―(最前にて一例紹介して言及なしたことのように不正確なところ・検証が一難事となっているところが目立つかたちで含まれているとのことが実にもって玉に瑕なのですが)― 、
【いかようにケネディ暗殺がフリーメーソンの象徴主義と結びつくのか、[ケネディの死に至るまでの足跡]や[アメリカの地理的特性]にまつわっていかように異様なるメーソン象徴主義に通ずるありようがそこに具現化しているのか、ディスガスティング、吐き気を催す程にうんざりさせられるようなかたちで解説されている、ケネディそれ自身がフリーメーソンか否かにかかわらずその死にはあまりにも異様で大がかりな儀式的側面が見え隠れしている】
とのことが解説されているとのことが(80年代における)従前言論態様として見て取れます。
以上、端的紹介をなした従前よりの多少なりとも見るべきところがある視座・視点の存在をもってして「メーソン儀式云々など(日本のオンライン上にも見られる質的に狂った人間達のそれと大差ないか同質であるとの)ざれげんではないのか」などとご勘違いなされないように留意いただければ、と思います。
(※またもってして書いておきますが、都市伝説( Urban Lgend )とのかたちにまで陳腐化させる式で相応の者らがあやまてることまで交えての話柄で取り上げもするようなところとして、[リンカーン大統領(とその後を継いだジョンソン副大統領)とケネディ大統領(とその後を継いだまた別の後代のジョンソン副大統領)の間には暗殺との絡みで目立っての一致性が幾点もある]との問題が一部にて語られはしています(これは日本でも一部で語り古されてきたところとなります)。そのことについては上論考『キング・キル・サーティ・スリー』それ自体にはなんら取り上げられて「いない」のですが、そうもした一致性(元来、米国人数学者マーティン・ガードナーがドクター・マトリックスとの偽名による架空の人物、数字を自儘(じまま)に操る能力を有した奇人との設定の存在の名を借りてその著作 The Magic Numbers of Dr. Matrixにて指摘したことに嚆矢が求められるリンカーン(およびその後を継いだジョンソン)とケネディ(およびその後を継いだジョンソン)の一致性となります)のこともがより重くもの意味性をもってくるようなところとしてケネディの死には[数十年単位でいとも軽々しくも人間の運命を「純・機械的に」手繰れるとの【力学】の片鱗が具現化しているとの筋目の話]には見るべきところがある、そうも考えざるをえぬとの記述が(フリーメーソン象徴主義、そして、チェスの駒の儀式的動きに通ずるところとして)上にて紹介の論考『キング・キル・サーティ・スリー』で多くなされています ―尚、この身はそうした論考の内容以上に問題がある、信憑性が歴然としているからこそ問題となる【力学】やりようの問題に知悉するに至り、もう人類は待ったなしとの状況に至ってしまっているとの結に行き着いたためにすべてをかなぐり捨てての訴求をなすことにしたとの筋目の人間となります― )
さて、(このような世界で)陰謀論批評家筋「兼」コミック作者とのことでやっているとの Jonathan Vankinなる向きらに由来するところとしてWikipediaなどを介して世間的に流布されている言辞ですと、最前までにて従前言論動向との兼ね合いでその記述を引いたとの King Kill 33との論考およびその著者(ジェイムズ・ダウナード)については
[quote:] Some conspiracy theorists question not “the facts” so much as reason itself. James Shelby Downard is one of those mad geniuses with a talent for making the most improbable, impossible, ludicrous and laughable speculations appear almost plausible. A self-described student of the “science of symbolism”, Downard peels away the rational veneer of history and exposes an abyss of logic-defying synchronicities.
「幾人かの陰謀論者らは彼らの帰結に通ずる理論と同文に事実それそのものの存在に疑念を差し挟まない。(の中でもキング・キル・サーティースリーの著者である)ジェイムズ・シェルビー・ダウナードはもっともありえなさそうなこと、まったくありえないとのこと、ばかばかしく失笑せざるをえぬところの推測らをほとんど説得力あるものの類に見せるだけの才能を有したそうもした狂った天才らの中の際だっての一人だろう。シンボル学の門徒を自称する彼ダウナードは合理的な(人間の)歴史の薄片を剥がして見せ、正常な(「人間の世界の」)論理性を無視したシンクロニシティの深淵を解き明かして見せもしている」
などとの、ある種、辛辣な申し分(あるいは死者にむち打つような申し分)がなされているのですが、そうもした寸評を伴う論考執筆者( James Shelby Downardとの向き)自身によって「見るべきところがある」観点、
[quote:] The Arch Criminals staged-managed Dallas in the killing of Kennedy and the news media reaction ever since. There are today thousands or perhaps millions who are apathetic to the control that exists over us, and who labor under the misapprehension that somehow life can be beautiful if we only forget and discard our ideals while getting on to the business of consumption. America is a news ghetto where the news media continually endeavors to promote apathy while going through the motions, the lip-synch, of reform.
「すべての元凶(たる秘密結社を介してソーサりー;魔術を実施している者達)はケネディを殺すべくもダラスの舞台設定をなし、そして、それ以来ニュース・メディアの管理を実行してきた。今日、数千あるいは数百万人の人間が我々周囲にてのコントロールに対して無気力になっているとの向きらとなりもしており、そしてまた、消費ビジネスの社会に没入している合間においては理想的ありようが何なのかを忘れ理想的ありようを放棄しているとのかたちでも人生とはいくらかもってして美しくなりうるとの曲解の元に労働しているとの同じくもの向きらが(数多)いる。アメリカとは詰まるところマス・メディアが社会改善についての動き、吹き替えとしての吹聴の挙を(スタイルとして)鋭意なしつつも、その実、無気力を増進しているとのあらたなゲットーなのだ」
との観点が呈示されているとのことが表記文書 King Kill 33にはありもし ―ここで上記述をして「見るべきところがある」としたいのは同じくもの記述が【心ある向きらが「あまりにもひどい」と嘆いているマス・メディアありよう】を揶揄しもしているとの伝でも今日の新世界秩序陰謀論者先駆けとしての際だっての特性( the characteristics of the distinguished forerunner of New World Conspiracy 「Theories」of today)を呈しているように見えるから「でも」あります― 、 といった今日の陰謀論的な言説の向きらに踏襲されてる警世の弁で彩られてもいる同文書 King Kill 33では、
[ケネディの死がマンハッタン計画の成果物 ―要するに原爆― にすら「儀式的に」フリーメーソンやりようとの絡みで根深くも相通ずるものである]
とも ―それが人間レベルにおける故意のたまものかどうかは普通の人間が考え及ぶようなところではないかもしれないと思われるのですが― 「主張」されています(ケネディが頭を撃ち抜かれて殺されたテキサス・ダラス北緯32度の教科書ビル一帯、トリニティ・リバーという河川にほど近くもの三叉路(三位一体、トリニティ形状)となっているその地点がテキサス州に隣接してのニュー・メキシコ州における北緯33度のマンハッタン計画における史上初の核兵器爆発ポイント Trinity Siteと地理的側面・意味的側面で「複合的多重的に」通じすぎるからであるとの理屈づけにて、です;については【容易に確認可能なる事実】の問題としてマンハッタン計画関シンボリズム(記章など)が視覚的にフリーメーソンのトレーシングボード具現化象徴主義と純・視覚的に相通じているとのことも(ここで取り上げしている論考それ自体ではなんら語られて「いない」ところながらも)指摘できるようになっていることを手前が識っていることも同じくもの指摘に手前が私的に重きをおくところとしてありもします)。
その点、この身、筆者(誤解を避けるために申し述べておきますが、私は『キング・キル・サーティ・スリー』著者がそうであるように見えるとの宗教的な人間ではありません; I am not a religious man.)が問題視しているのは
【ケネディが ―いわゆるマジック・ブリット、軌道上ありえないなどと鼓吹・呼ばわれもしての[陰謀論におけるケネディ暗殺の銃弾」との兼ね合いでも物議を醸したいわゆるザプルーダー・フィルムにて記録されているところとして― 頭部を撃ち抜かれたテキサス・ダラス、そのダラスの郊外にあっての[エリス郡]でケネディ暗殺後、およそ20年を経て産声をあげそうであった(だが、計画が途中で廃棄された)大型加速器SSC、【マンハッタン計画の子供】とでも言うべきそうもした加速器(リング)によって[人間の終焉]がもたらされるとの予告的言及が(ケネディ暗殺について云々などという「微小な」レベルの問題を超えて大々的に)[現象]として「執拗に」見て取れる】
とのこととなります(そのようなことを[マンハッタン計画に関わる記録的事実]それ自体との絡みで声を大に主張しようとの人間だに(極めて問題となることに)現行、この身ぐらいしか見受けられないのですが)。
そうもした意志表示、[(記録的事実としての)マンハッタン計画の子供]である大型加速器(リング)およびその運営機関によって人間に終焉をもたらすとの意志表示が確と見とれるとのことのその確度は(極めて残念ながら)折り紙つきとなる、そのように申し述べたき次第です。
(その点もってしてフリーメーソンを動かしての儀式的特性およびそれをもたらす力学の異様性・悪質性を80年代より指摘していたと解される論客にして、そして、今日のアメリカなどにて流布の陰謀論の嚆矢がかっての論調をとっていたとの論客ダウナードは上にての引用部に見るようにアメリカをして【ゲットー】などと表していますが、現象としてそれは幾分見るべき見解であっても本質としてはより悪質と判じられるだけの根拠が ―検証いただきたきことらを数多呈示していくところとして― あります。 欧米圏で近年、多数の衆生が参加して催されるようになっている Zombie Walkといったイヴェント、本格的なゾンビ扮装をなしての者ら(『言われれば何でもやる、多く道義心もなく相応の臭気をばらまいてやまぬとの「できあがった」類だろうな』と手前などは見ている向きら)が数万人規模で街をねり歩くといったありようが具現化している、その意でも異様性が際立つこの世界は【ゲットー】などではない、「目的論的に構築された」【アウシュビッツ】である、そして、といった世界で目的尽くで育てられた(そしてゾンビよろしく脳の一部機序に問題があるとも判じられる)人間に引導を渡すのは円形加速器の発展系がもたらすブラックホールないしワームホールの類であろうと判じられる論拠がありすぎる程に「ある」と指摘したいのです ― According to [many] already fullfilled extraordinary predictions and [many] other factors, this world is thought not to be a some kind of ghetto but to be Auschwitz itself that all inmates will be killed by [Cyclotron] advanced version generating [B]lackholes or Worm (serpent) holes.― )
ここにても強調したきところとして同じくものこと(加速器=リングが終焉に通じているとのこと)に関しては文献的事実・記録的事実の問題として、
【予見性】【正確さ】【克明さ(露骨さ)】
どれをとっても異様すぎるとの関連するところの先覚的言及が ―ケネディにまつわるフリーメーソンの三三階級に相通ずるなどと指摘されるここで紹介の書籍『キング・キル・サーティ・スリー』に見るあやふやさなどを一切許さぬ― 容赦なきものとして存在していると指摘できるようになっているとのことが「ある」のです(そちら指摘の委細を検証いただく過程にあって、この身が何故、【フリーメーソン象徴主義】や【蛇の寓意】の問題のこと「をも」殊更に問題視しているのか(陰謀論と区別いただきたいとしつつ殊更に問題視しているのか)、ご理解いただけることか、と存じます)。
とにかくもってして、足下状況の問題について検分しようとの意志の力を有している向きらにおかれては手前が当サイトを通じて提供している情報媒体をご覧いただきたい次第です(:なおもってここ脇に逸れての追記部にあってのつい最前の表記を再言しておきますが、手前の指し示し文書では従前の自身情報発信態様の欠陥を最大限改めることに注力し、また、(『キング・キル・サーティ・スリー』をものした)ダウナードのような【フリーメーソンに伴う怪物がかった側面】を指摘しようとしてきた先人の轍を踏まぬように最大限努めている、不正確性を排除するように極力努めている ―第三者後追い可能かつ後追い容易の構成にて不正確性を排除するとの式を徹底としている― 次第でもあります)。