当社、名利嚼蝋出版につきまして ―2― 

 はじめに

 先の頁を受けての本ページは企業の紹介頁にしてはあまりにも長々としたもの、そして、微に入ったものとなっております。一にも二にも当社が世に広めんと企図しているコンテンツ性質に起因する

[諸々の誤解払拭のための長口上記載の必要性を感じてのこと]

ゆえではありますが、その点、お含みいただきましたうえで ―当社に「格別に」ご興味・ご関心を抱いていただいた方におかれましては― 必要な情報とお受け取りになられた項目毎に本紹介頁の内容をご査収いただけましたらば、と考えている次第です。

当社が扱うコンテンツの内容につきまして

 当社が扱うコンテンツ(刊行物)は一言で申し伝えさせていただけば、

[主流メディアや、に準ずる、サブ・メディアが一切、扱わぬ情報を収集・分析したもの]

であり、かつ、

[万人の福利、なかんずく、生き死にに関わるとの性質を有した情報を収集・分析したもの]

となります。

 そのように述べもしますと、

『何を大仰な』

ととられる方も多かろうことかと「これ当然に」存じますが、上記のような性質のコンテンツの元となる情報は何冊、専門書籍を世に出しても足りないぐらいに我々の周囲に存在しています(:にも関わらず、それらが世に出ないのはひとえに情報を「収集」のうえで「分析等、加工」を施して「流通」させるメディア側 ―放送・新聞・出版ら― の問題、専ら[臆病]と[無能]と[レーゾン・デートル;存在理由]の三語にて片づけられる問題に起因するとの告発もまたなせます)。

 ここで誤解を避けるために強調させていただきますと

「以上をもって
『主流メディアの鬼っ子である陰謀論(者)由来の情報でも世に広めるつもりなのか』
といった認識を抱かれたのなら、それは ―僭越ながら申し上げるも― 誤りです。
当社は
[陰謀論(者)由来の情報のヴェンダー(供給者)]
の類では決してありません」。

 無論、上のようにいくら強調しようとも納得は得がたきことでしょうから、当社が陰謀論(者)由来の話を世間に問う類ではないことを指し示すための

陰謀論(者)由来の情報と当社が問わんとしていることの質的差異

についての図解をこの場にて ―それだけでは多くを判断しきる材料にはならないと判じもしておりますところながらも― なさせていただきたい、と思います。

 まずもって下の図をご覧いただければとおもいます。

 [証拠]と書かれたものら(まとめて証拠群)から ⇒(矢印) が発し、[帰納]という文字とともに
[我々、全員の今後に関わる計画が実在していることを摘示]
と書かれている枠内に向かっていること、ご確認いただけたことか、と存じます。

 さて、図にて⇒(矢印)の上に付した

[帰納](という語)

のおよその語義は次のようなものとなります。

[証拠と言うべき個々の事実]の収集・積み重ねをもって[何らかのより大きな事実や法則]を導き出すのがすなわち、帰納(inductionである

(向きによっては小難しく細かくも響くやもしれないとの話を敢えてもなさせていただきますと)、
[大なる法則]の存在を想定・念頭の上でそこから個々の事実や小法則のありようを判断するのが[演繹](エンエキ)と呼ばれる手法であるのに対しもしまして、です。ここで問題とする[帰納]というのは証拠を重ねていき、そこから事実や法則を炙り出す手法と言えます余談としまして:帰納法という言葉を生みだした16―17世紀は英国の哲学者フランシス・ベーコンについては諸種様々な人間の間にて[今日のフリーメーソン的なる紐帯を造り出した人物]との風評がつきまとっているとの向きともなります。後の世代にて活躍した同じくの英国人、アイザック・ニュートンに[錬金術に耽溺した最後の錬金術だった]といった話がつきまとっていることよりも一段格下の言辞と看做されがちなことながらも、です。そのような事情に留意しつつも述べれば、当社代表を務めます私は ―来したし・物言いから誤解されかねないことか、と危惧するも― フランシス・ベーコンが近代的なるものを形作ったと語れるような[フリーメーソン的なる紐帯]に属する人間では断じてございません。むしろ、その逆であると強くも訴えたい、[フリーメーソン的なる紐帯に由来する我々の生命を破壊するといった予定に関わる行い]を外側から批判するのが私という人間です)。

 繰り返しますも、

「帰納とは証拠を重ねていき、そこから事実を炙り出す手法である」

と述べられますが、ここで再度、上にての図をご覧いただきたき次第です。

 証拠群から

[我々、全員の今後に関わる計画が実在していることの摘示]

への方向で「帰納」がなされている。そのように図の指し示す意味は察していただけることか、と存じます。

 以上くだくだしくも書き記しなさせていただきましたうえでのこととしまして、

「当社が世に訴えんとしているコンテンツはまさに上記図に見るプロセスを内に体現したものとなっています」

とのこと、明言いたします

 図のとおり、証拠群の山によって[我々、全員の今後に関わる計画が実在していることを摘示]する、といったコンテンツ。[帰納]によって摘示するといったコンテンツ。それが当社の提供するものであると明言する次第なのです(真贋について検討していただいていない方に右を無条件に信じることを押しつけるほど、傲岸不遜ではない、としつつも、です)。

 しかし、「明言する」などと言い(あるいは表記して)話を繋いでいくことは当然に誰にでもできましょう。そう、(『内心で同じくものことが多くの向きに考えられ、また、この身のここでの筆の運びようにも茶々が入れられてこそ健全な社会であろう』と当然に考えもしますところとし、)上のような物言い「だけ」ならば陰謀論のベンダー(供給者)にも出来るでしょうし、実際、一部、そういう事例が観察されもします。彼らの存在理由 ―後述― に関わることとしてなのか、そういった向き(陰謀論のベンダー)も次のように強調したりするわけです。

「これこれこういう事柄がこういう[根拠]らに則って真なりと判じられるのである」

 ここで下の図をご覧いただければとおもいます。
 陰謀論のベンダー(陰謀論の主張者/陰謀論の再頒布者/陰謀論で商売している者達)が

「これこれこういう事柄がこういう[根拠]らに則って真なりと言えるのである」

との恥知らずな物言いをなす時は大部分、上の事例にあたること。少なくとも、日本で陰謀論者(的なる言辞を弄する人間)とされている向きの書籍・主張を ―世間を少なからず見てきた者として精査するに堪えがたきところを― 読み分析してきた限り、大部分、上の事例にあたること、強調しつつ述べれば、です。上の図は次のことを指し示します(多くは図に付した記述にてご理解・ご納得いただけることか、と存じます)。 

陰謀論のベンダーがこととするのは[帰納]ではない。代わりに彼らがこととするのは[飛躍](早急すぎる断定)ないし[錯誤を含んだ推論]である。彼らが真実(と主張する特定の結論)を導き出すのに挙げる論拠が ―図にても言及したように― 次に挙げるいづれかに該当するために彼らは[真実と事実の法廷]にて勝訴を勝ち取ることは絶対に出来ないのである。

[問題ある出典からの過てる情報]:例えば、[およそ立証とは言えない形で真実を呈示しているなどと主張する書物]や[異端の書として真偽不明なことを(第三者後追い確認出来ぬやりようで)延々と書きつらねている書物]からの引用
[一般人には決して真偽の確認不可能な情報]:[さる諜報機関関係者が非公式に述べたことだ]/[目撃者Aが裏付けなきも目撃したことだ]/[公開されていない隠匿機密文書によると・・・・]といった形の問題ある伝聞方式で呈示される情報
[純粋なる属人的捏造論拠]:全くの法螺話を自身や身内でこさえているか、他人がこさえた同様のものを再頒布しているか、といった類のもの) 

 疑う向きにあっては ―ただしある程度の教養かそれが無き折にあってはそれを養う意欲がある限りにおいては、でありますが― インターネット全盛のこの時代にあって
[国内外のオンライン上の情報およびそこから居所を突き詰めることができる図書館などで入手可能な紙媒体・資料]
にあたり、 ―矛盾や齟齬があった場合に― 自分の手と足で調べたことと陰謀論者の物言いのどちらが正しいのか精査吟味し、陰謀論者の拠って立つ論拠が上の如しであるか、検討されることを薦める」

 話が冗長に失しての感あり、書き手からしてそうも考えるところなのではありますが、以上の式に当てはまるものが「諸々の」陰謀論のベンダー(供給者)の
「これこれこういう事柄がこういう根拠に則って真なりと言える」
という主張の骨組みになっているために、彼ら(陰謀論の「諸々の」世間的ベンダー達)は
[真実を隠蔽・毀損する類]
であると指弾されても仕方ない格好となっている ―"ゴミ"をばら撒くことで我々に[万人を救いうる真実]を見えにくくさせ、仮に我々が真実を目にしても『ゴミと同じものではないのか』との印象を抱きやすくなれば目的達成といった類。そう指弾されても仕方ない格好と、(品位を保つため、自身の訴えんとしていることを[下らぬもの]で汚さぬためにのこととして品位を保つために愚にもつかぬところの具体名は出しませんが)、なってもいます― 。

 同じくものそうもしたありようについて彼ら陰謀論的言辞の有象無象の(再)頒布者らが
[真正の情報攪乱者 (自らの役割をはきと自己認識している、甚だしくは諸々の圧力団体・醜団体関係筋からそれゆえに賃金をもらって動かされている類) ]

であるか否かは置いておいて、とにかくも、実質上の話として、です。

(:なおもってしまして、です。

「批判的視座をもってして御自身でよくよくも情報流布態様の問題について確認いただければ(問題意中にあるサーチエンジン・キーワードをもってして検索エンジンを手繰って表示されてくる諸々の媒体らの精度・練度について見てみる、あるいは、かくも空虚・かくも無内容な書ばかりをよくも積み上げたものだといったところであってもの大店の書店に足を運び、の中の、おどろおどろしさを保った一画に据え置かれている陰謀論関連書籍らの[根拠]らの【第三者裏取り調査容易性】についてチェックしてみるといったかたちで確認いただければ)、ある程度はお分かりいただけることだろう」

と申し添えなしたくもあるところとし、日本、「恐ろしく流通情報の質が低い」としか言いようがないとのここ日本にはタレント陰謀論者の他にも有象無象の馬鹿げた法螺話の流布者・再頒布者重要な告発を馬鹿話の類に貶める劣化剽窃者のような類 (遠慮会釈なく述べれば、我々全員(種族そのもの)に対する犯罪者、[人間の屑]と(これ矯激・他罰的にも)述べてもなんら差し障りなかろうとこの身などはとらえておりますとの類) が ―組織的に使役されている、といった風にすらとれるかたちで― 市井には字義通り五万とおり、彼・彼女由来の駄文が[特段の助力なしての力学](「不自然な」検索エンジンにおける表示のなされ易さなどに見受けられるところの助力なしての力学)の恩恵に浴している限りでなければ実現しえないようなかたちで[検索エンジンに対する重要なクエリ ―サーチのための入力・問い合わせ文― ]に対応する検索結果画面を埋め尽くしていると言っても過言ではない状況が、「近年」、続いています

 それにつき、「細かいレベルで記録を取り続け、そのようなことを細々と把握しているとのことがこの身にはあります」(後々解説文書などを差し障りないかたちで頒布なそうかとも考えているところの問題として、です)とし、申し述べますが、「何故、そのような状況になっているのか」よくよく考えていただきたきところでもあります

 上をもってして陰謀論者の主張する[帰納]ならぬ[真実を毀損・隠蔽する、飛躍や(意図的)錯誤を含んだ推論あるいは自称としての立論]の概言とさせていただきまして、です。対し、当社が広めていこうとしているコンテンツは次のような特質をもったものであること、再度の図示をなし、ここにて強調したき次第です。

 当社が扱うコンテンツは

A[誰でも確認可能な根拠](必須要件
B[偶発的には決して生じえない、すなわち、恣意的なるものだと示せる出来事]
C[各々が密接に結びついているといった根拠群]

であることを抽出要件としていること ―[A]または[AかつB]または[AかつBかつC]を抽出要件としていること― を元に[帰納](せんだって言葉の意味については解説なさせていただきました)をなし、膨大な「明朗たる」証拠の山から確率的に異論を許さぬ[我々、全員の今後に関わる真実]を炙り出す、といった性質のものとなります(※右につきましては直下、付記の話も併せてご一読ください)。

長くなるも、の付記:ただし、誤解なきようにしてほしいことに[証拠の性質の問題]があります。例えば、あるカルト団体の成員複数人がいくつもの具体名を出して殺人謀議をなしている録音テープは ―それが当事者らの横顔を押さえている限り― それ自体、反論を許さぬ[直接証拠]、というより、事実そのものとなります。誰がそれに相対しようとも、です。ですが、そうした[直接証拠](信用性ある形態である限りにおいて事実をそれ自体で指し示すもの)に対し、「当社刊行物として」展開するコンテンツを支える証拠群は「正常な判断能力を有した人間が見、その適正さを判断する限りにおいてのみ」実効性を有するもの、すなわち、[状況証拠・間接証拠] ―真実を間接的に示唆するものでそれゆえに帰納という手法の個々の材料となるもの― とでも表すべきものとなります。ですから、当社コンテンツは正常な判断能力を有さず[言われれば人殺しでも自殺でも何でもする機械のような者]の心中には決定的なる変化をもたらすものではありません。ありませんも、[観念の上での真実と事実の法廷]では勝訴を得ることが出来る類のものとなります。法廷を例に持ち出したためにその式での話を続ければ、次のようなこととて言える。そのようにコンテンツの提供元として明言する次第です。
 「裁判で裁判官が原告主張を認める勝訴判決をなし、被告を有罪ならしめるうえでの証明の程度は ―日本の専門的法解釈論の世界では― 民事訴訟にあっては[特定事実が特定の結果を発生させたと言うに足る高度の蓋然性の証明]、刑事訴訟にあって[合理的な疑いを差し挟む余地なしと言える程度の証明]とされている。その式でも当社が展開しているコンテンツ上の[帰納法による立証]は原告を勝訴させ、犯罪者に報いを与えるに足るものと言える ―我々が住まう世界に法的不可侵の領域、何千人を瞬時に焼き殺してもその指示をなした者達が法網をかいくぐれる法的不可侵の領域が一切ない、と仮定した限りにおいての[観念の上での真実と事実の法廷]の話ではあるも― 」
 そういった明言を自己の会社の紹介ページでなせるのは確率論的に偶然には同時に起こりえないことが何個も何個も重なり、かつ、その重なりの背後に確とした思惑があると指し示せる、との事情が[我々、全員の今後に関わる事象]絡みで存在するからです。実に拙劣で、事案の性質を表するのには不適切かもしれませんが、次のよう"にも"言えるような形で、です。
 「サイコロ二つを振って、その目の合計が丁(偶数)か半(奇数)かを賭けるサイコロ賭博の現場。計2になる賽の目の出方が連続して10回にもなった ―普通はそのようなことが三回続いた段階で八百町の疑いで場の雰囲気が殺気立ってくると思われますが― 。そのような局面である男Aは丁半の丁 ―偶数― にかけ続け、結果、大金を得たが、その男Aはそれまで借金で首が回らなかった。そして、サイコロ二つそれぞれに分銅を仕込み、各々1の目を極めて出やすくすることが出来る立場にいたのはその男Aだけだった。
 といった状況下、保険金絡みの連続不審死などにも通底する状況下、男A ―のうのうとしている男― が分銅を仕込んで二つの賽の目の合計が2になる偶然を10連続で出現させるという確率論的奇跡 ―[分母が(1/6×1/6)の10乗となる確率]で[3656兆分の1]以下の確率となります― を現出させたことは火を見るより明らかであり、もはや事実である、と言える。聞きわけのない者ではなく、[初等数学が分かっている事実を判断する能力を有した者]にとっては。神仏の加護と呼ばれるような現代科学では立証不可能な特段の外力はないか、あっても、それだけでは計2となる丁は十回連続ででないと証せられる他事情 ―この場合、容疑者A関与を指し示す事情― がこれまた存在する際に」

 以上、拙いたとえ話になりましたが、当社が帰納によって示せるとしている[我々の今後に関わる真実の確かさの程度]とはそのぐらいになろうものと明言いたします
)。

 極めて長くなりもしながらの付記をも挟みつつ、当社提供コンテンツの性質を訴求したところで、です。あとはこうお願いするばかりです。

「当社がこれから提供していくコンテンツ、そして、すでに他で提供している情報をご検討され、上にて述べてきたことが額面通りのものか是非、精査いただきたい ―もし額面どおりではないというのなら苦情なり何なりいくらでも歓迎いたします。無論、理に適った形態である限りは、となりますが.― 」

当社経営者にして当サイト本文執筆者(私こと大森健史という人間)につきまして

 はっきり申し上げれば、

[経営者としての私という人間の属人的特性]

など当社を通じ訴えんとしていることの性質に比べれば、どうでもいいことのように当然にとらえてもいます。また、赤の他人の来し方・来歴など多くの方々の興味の埒外でしょうし、もっと述べれば、―(利害得失や特別な感情に根ざした人的関係がなければ)― 自分語りなど聞きたくはない、という方が大部分であろうというのも人情の問題として言うに及ばぬこととも見ております。
 しかし、そういったことを重々承知の上で敢えてこの場にて手前の紹介などなさせていただたければ、と思います。

一に、企業の紹介サイトにおける最低限の節度の問題として(場合によっては)取引などにおける意思決定の判断材料にもなる人的側面を呈示しておく必要を感じたこと。
二に、物議を醸す、といった性質のコンテンツの提供元が[どのような顔の人間であるのか]に関心を抱かれた方に「責任の問題として」そうした側面を呈示しておく必要性を感じたこと。

 そういう事情からです。

 以上、述べましたうえで私、大森健史(との者)の来歴の紹介をなさせていただくことからはじめます。

「東京にて生まれ育つ。大学(慶應義塾の経済)を卒業後、サラリーマンとして複数の会社で働き、後、経営者としての技能深化や人脈づくりのために専門職大学院に籍を置きもする(専門職大学院ではすぐに上辺だけの詐欺の世界、―ここだけで[陰謀論者のような類]との誤解を招きかねぬ物言いながら― 宗教団体成員やそれと協働していたフリーメーソンのような類ばかりの世界に嫌気がさしたも)。その間、諸種様々な専門知識を身に付けながら[真っ当な社会人]であることに疑義を呈さざるを得ないような体験を五万となす
 結果、世の中の矛盾に挑むための周旋活動 ―ある種の政治活動― や常識の背面の探究活動をなすようになる。自身の持つ[尊厳哲学] ―誰しもが精神の安寧を担保されている社会でなければならないという哲学― に則り社会的矛盾と矛盾をきたす紐帯の問題を世に問うために、である(付記:ある種の矯激さや活動家じみた側面を感じさせるような書きよう。その伝での誤解を避けるために述べれば、です。私は[諸外国に比し殊に戯画化されている風ある日本の右左翼]には何のシンパシーも感じていませんし、そうした手合いやより包括的な意味での政治ゴロの関係者であったことも一度たりともありません。また、[社会の隅々で横断閥を形成しつつ、差別・逆差別、そういうことにも存立基盤を持つように見せながら自分たちのことしか考えていない、といった類]には心底、憤っていたこともありますが、彼らが問題の本質ではないことは途中から気付いてもいました)。
 が、振り返れば、幼く拙くもあった周旋活動や常識の背面の探究活動の後、対人的な意味、そして、そういった側面を超えもし
[この世界の本質が何なのかということを思い知らされる体験]
をなすことになり、自身の見方を180度転換する必要を感じるに至る(付記:右に述べるところの[この世界の本質が何なのかを思い知らされた体験]が何なのかについてはこの場には敢えて書かないこととします。また、同じくの物言いについては ―言うまでもなく― [宗教家然としたもの]ということで白眼視、嫌気がさされる方もおられようかと思います。が、私が[無宗教・無神論を背景とする合理主義者]であること、本サイト他所その他に見る私の物言いからご察しいただくようよろしくお願いいたしたき次第です)。
 フリーメーソンのような類が[棺桶に入る儀式/生と死の生還を模す儀式]をも経、内面を「屈した上で」「変革され」人間性を失わされているとされる ―人間性を折ることに注力している日本のカルトでも内面の「変革」は重要な要素であると宣伝されている― ことが漏れ伝わっている"理由"を知り、物の見方を180度転換する必要を感じるに至る(極めて悪しきメカニズムに接しすべての見方を改める必要を感じるに至る)。結果、[この世界そのものに対する本当の意味での探求活動]をなすようになる。海外由来のものか、国内由来のものかを問わず、そして、有名どころか絶版・稀覯本(きこうぼん。流通量少なき書)のような類かを問わず、見るべき個所を含んでいるととらえた資料・書物を細かく分析し、自身なりのやり方での実地検分に精を出しつつ。その過程で
[コンセンサンス ―悪しき協約― の果てにある終局目標]
について多くを推し量るに至る。[誰が見ても明らかなる根拠群]に相対して、である」

 以上が当社の経営者たる大森健史という男の ―どうでもよい些事を多く捨て置いた上での― 紹介となります。商いの信用はその人間の支払い能力、その人間の表層面だけの来歴だけで大半が決まる、といったきらいがありますが、そういった商いの上での話を超えもし、とにかくも、私がどういった性質の人間か、上をもって推し量っていただければ、これ幸い、といった次第です。

 さて、以上、延々となさせてもらいもしました手前語りにつき、次のような心証を抱かれた方もおられることかと存じます。

『出版社(出版を業とせんとしている会社)の社長が銭金のために妙ちきりんな話しぶりで自己を飾っているだけだろう?そうでなければ、一種のドン・キホーテだ。がむしゃらに突っ込んで、周囲がどのように見るか分かっていない。本人は勇ましがっているつもりかもしれないが、傍から見れば、気の毒もいいところ、といったね』

 そういった考えを抱かれた方には丁寧語の調子を ―この場にあっては殊更に失礼ながら― 外しての次のような返答をなさせていただきたき次第です

私は銭金目当てで出版社などとの名目で会社設立したのではない。はっきり述べれば、出版という業種は余程のヒットを出さないと ―収益だけでは― まともな暮らしはできない業種である。原価率や流通上の制約といった[日本の出版の特徴的なるビジネス・モデル]をよく研究すればわかることである。対し、私が本当に社会にはまれば、経営者とは言わずも、そして、日本であろうと国外だろうと言わずとも、[傭兵稼業としてのサラリーマン]などでも何でも人並みを上回る給金を貰ってやっていけただろう。それだけの技能も識見も持っているからだ(:道を外れていても軌道修正はできたことはできた。しかし、今となっては遅かりしことだろうし、生きるため以上の銭金のために[時間]だけではなく[人格]や[節度]を切り売りする。そんな立ち位置は端から望んではいなかったが)。
 話が下卑たものになっているが、とにかくも、私は金儲けを目的としてやっているのではない。
 ではドン・キホーテか。はっきり述べるが、違う。幻の騎士道など追い求めてはいない。私は生きる、生き残るためにやっているのだ。資本主義の中の問題ではなく、より、プリミティブ(原始的)なレベルでただただ物理的に
 その点、(本ページの冒頭より始まる先の段での話にても示唆しはしたことであるも、)私はここ数年来の調査の結果、
[我々は死に瀕している]
ということを思い知らされるに至った。[種]としての我々ないし我々の児孫の多くか全部が殺されることになる予定らしい、と[現象][「露骨なる」外的兆候に基づいて思い知らされるに至った付記:当然のこととし、馬鹿げているか、さもあらずんば、といった次第だろう。しかし、客観的な証拠の山 ―別途呈示なすところのそれらの「批判的」検証を切に求めたきところの証拠の山― に則り、そのように言えるのだ。同じくの点に関し[予定]の舗装者と名指しできるようなものであるとの人間の歴史にあっての組織的に動く「被」使役者ら、たとえば、フリーメーソンのような組織体の成員の多くは別の考えを抱いている節がある、そう、[選別を伴った破壊と再生]の途などを「妄信」して精神の均衡を保っているようではあるも。につき、込み入った話をすれば、近年、封切られたハリウッド映画『2012』などは ―事情を知らず、かつ、映画をご覧になられてなき方にはお分かりいただけないだろうが― 実に"彼ら"の厄介な部類らしい「正鵠を射る」との方向とはほど遠き醜き心根の現れが表出している、といった格好となっている)。
 上の言辞をもってドン・キホーテではなく完全な狂人か、と思われようが、否定続きの中にあってのさらに、の否定。さにあらず
2001年9月11日に起こった事件は諸種様々なところで起こすことが大っぴらに「露骨に」事前予告されていたし、そのことは容易に立証できるのであるも ―ただし狂ったマスコミはそれら証拠をすべて無視している― 、その「露骨な」事前言及の実に多くが大量虐殺(というより絶滅計画実行)の比喩とともに容赦なくなされてもいた。信じがたい洗練性を伴って]
といったことが一つにあるから、そのように、我々が死に瀕している、と ―常軌を逸しておかしきことと承知のうえながら― 述べるのである(根拠は他にもたくさんある。尚、組織的前言はイスラムの狂的なるラディカル・セクト由来の方向からのものではないから問題になる)。その点については、911が絶滅計画と結びついているといった話については詳しくは私が先行的に公開しているインターネット上の具体的情報 ―いいだろうか.具体的情報である。その在り処と探し方は本サイトでも紹介している― や私が(生き続ければ、の話だが)これから世に問うていくことを真剣にご検討いただければ、ご理解・ご納得いただけるだろう
 私はドン・キホーテのような心中で突進をなしているのではなく、
[生き残るための周囲を動かしての環境変化]
を起こすために突進をなしている、とにかくも、そういうことである

ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ。彼は風車に突っ込んだ、フィクションにおける誇大妄想狂・パラノイドの郷士だったわけだが、私をそうした類、狂的人物 ―突っ込む対象は風車ではなく環形粒子加速器の類などだが- だと見るか否か。それは受け取り手の側の自由である。ただし、[警告をなそうという者]を物笑いの対象にする限り、何が起こっても結果を甘受する[覚悟]を持っていなければ「フェア」ではない。

 長くもなりました。上をもって私が ―少なくとも自身の意中では― ドン・キホーテとしては動いていないことをお分かりいただけたことか、と期待します。

 しかし、仮にドン・キホーテではなくても(主観の面はともかく客観の真正さの問題は自身でご確認ください)、恐れるのは自身が[カッサンドラー]のような立ち位置に陥らされていることです。その点、―多くの方がご存じなき名とは考えますが― カッサンドラーとは

[ギリシャの伝承上の戦争たるトロイア戦争にあって守備側のトロイアの女王であった人物にして何をしても他から自身の言を信じてもらえないような呪いが(神によって)かけられた人物]

のことです。彼女、カッサンドラーがトロイア戦争の攻め手たるギリシャ軍の置き土産、戦利品としてのトロイの木馬がトロイアに運び込まれた際に同木馬が破滅の兆しであると訴求しつつも嘲笑われ無視されたこと。そして、結果、木馬に潜んでいたギリシャ勢が夜霧にまぎれてトロイア城壁内にギリシャ兵達を誘導、虐殺を伴ったトロイア陥落とあいなったこと。それは今日でもよく知られている神話・伝承上の一挿話です。
 上をもって私が何故、自身をカッサンドラーの類にされているのかもしれない、と危惧するのかお分かりいただけたか、と存じますにつき、『[誰が見ても正しいこと]そして[万人の生き死ににかかわること]を述べているのなら、カッサンドラーの立ち位置に置かれる道理はない』と思われる方もおられるかもしれません。ですが、一概にそうとは言えません。本サイトでも訴求する局面が出来(しゅったい)するかもしれませんが、理性を至上のものとして見なして然るべきといった現代社会にあっても[万人が知るべきことを万人に知らせないよう阻害するメカニズム][多くの人間が真実を無視するようにできているメカニズム]がビルト・イン(組み込み)されていると言えるような側面があるからです ―この場にて論拠を並べ立てもせずに述べただけでは慮りは難しいかもしれませんが― 

 自身がドン・キホーテであることを否定することにはやぶさかではないとの私ではありますが、自身がカサンドラーにされているかもしれないこと。それについては否定のしようがありません。[定まりし生を強くも押しつける力学]が存在しており、そのような力学にいかように抗っても結果的に[運命](などとの言葉で表される立ち位置)を押し付けられることになっている。それは私個人の問題であると同時に全般的な意味での人々の問題でもあるため、否定などできないのです

 ですから、お願いとしまして、何卒、私のような類をカサンドラーとはしなきように。そのように聞く耳を持った人々にご要望し、と同時に、カッサンドラーを造ろうという力学やそのような力学に準拠して動くのを良しとする愚か者達に挑む。
 それしか私には出来ません。
 それでも本当のこと(万人の今後に関わる真実)を訴え、無視され、嗤われ、―それが遅いか早いか、いつになるかは分かりませんが― 人生の決算期を迎えることになったらどうか。その暇が残されていれば、唯、自身一個の問題としては冷笑しつつも抗い死んでいく自身を自身で手向けるまで、です。手向けるのが仇花であったとしても運命に抗った事実は残る。最後の最後までそのような冷笑を伴った自己満足には陥りたくはありませんが、とにかくも、そうなるでしょう。最悪の場合、社会は、闘うことを放擲(ほうてき)した方々は ―いかなるようなものであれ― 結果を甘受する覚悟ができているから、端からそうもなっていたから、そういった仕儀になったのだろう、とも(哀しくも)納得しようとするかもしれないとしつつ、そうなるでしょう。

 しかし、そういう結末のあり方を生々しくも想定しているとしつつ生きる力が残っている限りにおいては最後まで足掻く。カッサンドラー的なる存在にならぬように足掻く。それが私という存在であること ―くどくもなりつつものこの場での自己語りの場にて― 明言する次第です。

 カッサンドラー。トロイア戦争の物語に登場する呪いをかけられた悲劇の女王。本サイトの他所で目立つようにトロイア戦争を扱った叙事詩『イリアス』を持ち出しているのは彼女や彼女によって仮託される力学の存在に対する想いもある

 以上をもって、

[経営者としての私という人間の属人的特性]

について語らせていただきました。本来なら、会社の紹介ページで代表取締役がこのように自分語りを延々なすなど異例・異常ともとれることと(ついせんだっても表記なさせていただきましたように)存じますが、意図と背景にある事情を斟酌のうえ、何卒、ご理解いただくようお願い申しあげる次第です。

当社が特定目的達成のために存在しているとのことにつきまして

 世間一般に言うところの会社組織の目的。それは表層面では

[営業活動を通じて利益をあげること]

です。定款 ―法人設立時作成する会社の基本事項記録文書― における[目的]欄に見る[主としての事業活動やそれに附帯する活動](:当社の場合であれば、[独自に収集した情報およびその情報に対する分析内容の ―出版物やオンライン媒体形態での― 有償・無償提供])を通じて利益をあげ、もって、従業員や株主などの利害関係者に利益を還元することです。
 ですが、商法(会社法)のみならず民法にても定款記載義務が規定されている[額面としての目的]を超えて、より本質的なことを述べれば、当社の目的は

[社会に変化をもたらすこと]

です。その背景にある理由・事情はすでに上にて記述のこととして述べずに、とにかくも、それが当社の理念としての目的です。

 ですから、当社の社名はその理念を体現したものといたしました。常識の世界では

「これ異様無比.」

といった次第になるとしか言えない名称、

[万人のための最奥領域探索・名利嚼蝋出版株式会社]

という漢字込みで23字にも及ぶ超長文の社名でわざわざ登記して、です(:設立の際、数千社の設立の面倒を見てきたとされていた書士の先生も「流石にこのような長文の社名は見たことがない」と仰っていました)。

 さて、そうした当社、立地の面でも[こだわりを見せた設立の仕方]をいたしました。先の頁での会社概要欄でも一言だけ書いたことですが、

[911の事件を社の「立地の面だけで」想起させるかたち]

で登記をなしたのです。911の事件が我々、全員の今後にかかわる予定の事前示唆のためだけに起こされたものであるというかねてよりの認識に則り、(いろいろと登記地見繕っている中で奇縁としてそれができると判断した中で)、そのような登記をなすことにしたのです。
 と述べましても、今はなきWTCのグラウンド・ゼロにて会社を設立したわけではありません。そのようなことは ―したくとも― 不可能なことでした。
 したがいもしまして、東京の貸しオフィスの中から奇縁としてグラウンド・ゼロと地理的近接性を有する箇所を見繕いました。
 結果、[東京都江東区豊洲1-3-1(ML91101)]という地番での本社登記と相なりました(江東区豊洲1-3-1の後に「ML91101」と付しておりますが、それは当社刊行物住所地の時点でかの事件を想起いただきたくのこととして[貸し住所サービスの郵便受け番号任意選択可能という特性]を利用し、忘れざるべき911の発生日付 ―クレジット・カードなどに見る記載方式としての911(date)/01(year)― を表したかったからです)。

 検索エンジンからでも当社の「名目上の」地番を検索ください。下図の右に見るような地番が出てくるはずです。私はWTC崩壊劇の亡霊などではない、としつつも、述べますが、

「かの911の事件の背後にある力学動向を今、逆転させなければ、われわれが今後、どうなるか」

[社登記地という「非」言語的側面を有した情報]で国内外の人間に訴えることを念頭に置いた結果として、下図のような地番が出てくるはずです。

 先の911の事件は11と12の境い目に重きを置いた公然たる儀式(的挙動)である、と言える。運命の時計の時針が12に達した後、一巡しての[1が続く再生]など観念できない(再生を観念する場合は[頭が尾を噛む蛇、ウロボロス紋様;フリーメーソンが重要視しもする紋様]のごとき状況となりもすると言えるが、そのような状況は ―最悪の文脈を除いて― 現れず、破滅しか待っていないと推論される)ため、12を過ぎぬ形態、上図のように位置という意味でグラウンド・ゼロを逆転させた社登記地を選定することとした ―検索エンジン上での見映えではニューヨークのスケール数分の一で、かつ、チープさが際立つ格好ともなっているが、敢えて、そうしている― 。

 世界終末時計。シカゴ大学に模造物が設置されている同時計、上述したような11時45分から始まり12時(あるいはまさしくもの0時)をもって世界が終ることを指し示す、
(まったくもってなぜなのかの)[核戦争などによる現在の危機的状況を告げるための観念上の時計]
である。
 さて、上にて挙げたが如き世界終末時計の時針に着目いただければ、お分かりいただけるだろうが、始点の時針は ―911の事件がはじまる前からアメリカその他で緊急時当局呼び出し番号とつながりもした― 911という数、足し合わせれば、11となる数(9+1+1=11)である。
 その式で言えば(実際にその通りに意図されて"なっている"ことを詳説せずにその式で言えば)、我々は時計の時針が11から12に切り替わるのを阻止せねばならないことになる。当社の名目上の立地にはそのような想いを込めている。

 以上、異常ともとられよう社名、そして、住所地を選択してまで当社の根本理念が

[社会に変化をもたらすこと]

であることを述べました。あとは、こだわり示しつつもの私の想いが芽吹くか、それとも ―[魂と精神の抜け滓のような存在と成り下がった空虚な者ら]あるいはよりもって性質悪くもの[本質的な意味での(自らの種族の破滅に手を助力なす)度しがたき者達]に邪魔などされつつ― 忘却のうちに滅するか。縁あって当サイトまでご精査されることになった方々には帰趨を ―(出来れば)応援していただきながらでも― 見守っていただきたき次第です。

ここ本頁にあって申し述べもしているところの重大事について4巻構成のそれぞれに長大なPDF文書らを用意、それらの過半を割くとのかたちでの膨大な文量をもってして【第三者に容易に裏取り可能であるとの典拠】を呈示することといたしました。訴求者たるこの身の申し分についてその内容を批判する(あるいは『無視していいものであろう』との判断をなす)との観点にてでも直下リンク先よりダウンロード可能としておりますそちら典拠紹介のための文書らの内容を一考・検証いただければ何よりと考えています。

典拠紹介に特化させもしてのPDF文書はこちらより

先立つ当社の紹介頁へ


※長々、そして、非常に細々としたこととなりますが、以下、[当社(登記地)住所]に関する付記をなさせていただきたいと思います(:本段につきましては[さらにもの内容のくだくだしさ]より「よりもって格別に」当社にご関心を抱かれた方におかれましてのみ内容ご覧いただければと考えさせていただいている次第です)。

・上にて登記地選定理由を一面的に解説した住所(東京都豊洲の住所)は[登記のために軽微な出損で借り受けた貸会議室・私書箱のアドレス]となりますので当社の実態がそこに ―貸し会議室や郵便受けである以上に― あるわけではございません尚、同住所は様々な方々が ―業者が提供している契約プランによっては― 簡単に契約・利用可能なものとなっています。なっていますも、それにつき、後述のような理由から慎重にならざるをえぬこととして当社と同じ住所地を借り受けされている方々のうち誰どなたとも当社は関係がございません」とのこと、申し述べさせていただきます)。

(■↑「さらにも,」の後の日にての追記:2012年年初に遡る当サイトの公開時その時点から「[郵便物窓口として設けもしている登記地住所]として呈示しています、(換言なせば)、所詮はその程度の形態しか伴っていないとのものではあります(確たる社の本質がそちら[登記地]自体にあるわけではありません)」とこちらサイト内で申し述べもしてきたところの先掲住所地にての[基本的利用機能](の過半)が、当社設立数年を経もし、代表(たるわたくし)が[加速器LHC関連の訴訟](および、にまつわっての訴求活動)など社の業務行為とは離れての活動に一意専心しているとの中、[(サービス提供会社の都合による)登記地兼渉外機能付与地提供プランにおける地所変更] に伴って利用できなくなりもしました。すなわち、(当然に苦情も申し述べもしたところとなるのではありますが)、先方サービス提供会社の都合によって[郵便局転送が効かぬ類型のかさばる郵送物品の授受]などの[渉外のための基本的機能]すらもが、過半、上にて記載の江東区の登記地それ自体では活用できなくなりました。(:「問題意識からすればどうでもいいような非本質的なこと・小さなことではある」「そも、登記地などは勢威誇っての有名所の会社ですら唯名無実のものと化しているといった風潮が商慣行上・世間的にはあるとの中、実に細々と記述なさせていただきますところとしまして、です)。
 以上、(さらにもの)追記をなさせていただきましたうえでのこととしまして、下のこと、物品送付先にまつわるところとして表記なさせていただきます。
小口郵便物転送は(郵便局との単純なやりとり手続きの問題として)この身が構造的に拘りをもって選定したとの(先掲の)江東区豊洲にての従前住所で継続をなす所存である、とも登記地かつ渉外住所提供のサービス業者の方に確認いたしているのではありますが(ただしその継続についても不分明なところがございます)、 もし当社に郵送行為を伴うとのかたちでなんらかのご用件があられるとのことがございましたらば「別途」業務地として供与することにしております代表借り受け物件ら住所地 ―(都合に応じて移転させることもあるかもしれませんが、とのところながらもの当サイト内記載の、あるいは、(見知っての方にお渡ししての)代表名刺に記載の業務供与地)― をもってして郵便物宛先となしていただければ幸いでございます ⇒(「さらに」に「さらに」を加えもしましての追記としまして (この部だけ2024年をもって急遽追記いたしたところとしまして)2024年下半期をもって登記地でもあった豊洲のアドレスは事情あっての完全失効を見、簡易的にもの郵便授受さえもが確定的にできなくなり、それゆえ、[当社(代表)の郵便物窓口]は、別途、サイト内に記載のものをもっぱらに用いることにもなりもしましたこと、申し添え致す次第です(また、業として登記地アドレス提供をなしていた業者との慎重を期しての水面下やりとりを経て先方との契約自体をそも解除せざるをえないとの結を得、事実,その通りにもの運びと致しましたこと、必要性認識からあわせて申し添え致す次第です))

・上のような属性、貸し会議室や郵便受け以上に実体を伴っていない属性をもって、 ―機動的運営を期してのそれもまたそれなりにすぎないとのSOHOとはいえ― より実体ある連絡窓口を別途公開しております(←追記:従前、代表日常起居の地でもある「陋居(ろうきょ)なり.」とのものとはいえどもの首都圏利便の地を業務供与地として当サイトにも掲載させていただいていたのですが、後段に記載の事情より、そちら(最低限踏むべきと見ていた)方針をも変えようとの観点が代表にありますこと、何卒、ご理解いただきたき次第です)。 といった中、代表住所をきちんと記しているとの中にあって、当社が本Webサイト上に『[地番としてのさして実態を伴わぬ登記地住所]をわざわざ書く必要もないだろうに.』ととられる方もおられるやもしれません。意図的に登記地たる住所からして選定しているとの上記事由はとりあえず置いた上のこととして、です。しかし、その必要、[登記地のレベルでメッセージ性を込めたかったとの理由]だけによるわけではなくにもの登記地住所までをも敢えても当サイト上に記載する必要を感じており、それは、ひとつに、
「登記地住所も易くも捕捉されうる住所地となりえ、それに付随する問題も出てきうる」
とのこと"など"によります。 につき ―格別に疑義にとられたとの方は― 下の「」内記述をご覧いただければ、と思います。

(一部[改訂]表記しつつ記載するところとしまして)
「「現時」、日本で([個人]ではなく)[法人]が取得するco.jpアドレス ―(そちらはWeb上の住所としてのドメイン名)― については[法人登記地住所]をドメイン取得時などに報告する義務があり、そうしたかたちで諸所にて明示が要求される住所が(謄本とらずに)まったく労をかけずにものドメイン名や社名の調査時から、個人ないし団体にネット上より易くも確認可能となりうるとのこともあろうかとの見立てがありました。すなわち、当社(を通じての訴求事項)に興味を抱いていただいた向きらにおかれての試みに応じもし、当社事業所外の登記住所まで「も」が ―額面のドメイン管理会社連絡先を超えて― 「オンラインで」易くも捕捉されることになりうるとのこともあるかもしれないとの見立てが当初よりありました。
 その点に関しもし、(当社代表に)[懸念]あったところとし、 
「込み入っての社関係のありようまでもが「実に易くも」捕捉されうるかもしれない([2011年の年の瀬に設立届け受理され、2012年の年初より公に設立公示されている社としての社名]といったレベルを越えての込み入っての要素としての登記地らまで「も」が「実に易くも」捕捉されるとのことになるかもしれない)、なれば、当社登記地アドレスが(悪印象を与えるようなかたちで)[汚されている]とのことがあった際に(要らぬ)マイナス事由になりうる」
との状況予測がありました。貸しビルなどでの事務所使用不動産借り受けの場合には尚更、注意が払われて然るべきであろう(そして余程の初動資金がなければ回避も難しいともとらえられる)こととして、世間的に望ましくないことをやっている人間/団体、または、その関連会社が[登記地]上の近隣住人になっている(或いは今後なる)かもしれず、かつ、それが[興味を抱いていただいた向き]のネットレベルでの調査時、実に望ましくないかたちで表出するかもしれない、であれば、はなからそういう潜在的リスクを伴ったものと想定し最も合理的な形でメッセージ性を込めた住所地を[登記地]として確保の上、潜在的なる問題点をも ―借り受け契約締結時時点では精査したところ問題は表出していなかったながらも、― あわせて訴求しつつ本社登記地住所として公開した方が良いと判断、コスト相応に実体性なきものながらも、メッセージ性訴求なしうる地として産まれ落ちた社の登記地住所としてウェブ上に当該地を、2012年、公開掲載したとの次第です。明示しないとの選択、それが悪評をきたすありようと重なった状況を想定してです (マンションなど借り受けの一室で切り盛りしている出版社も世には幾社か存在しているようですが、(郵便授受地ぐらいの実体しかない)登記地として設けた住所地までもが[チープさ]をもって閲覧者や利害関係者から[ラ・マンチャの男の手作りガラクタ鎧]だと見られるならそれはそれで仕方ないと見つつも、です) 」

(■↑「さらにも,」の後の日にての追記:望まぬところとしてここに追記するかたちとなりますが、「元より郵便受けだけのような地所ではある」と2012年の当サイト公開時より(上記のように)記述させていただいておりました[登記地としての豊洲の住所]については[やりとり基本的機能]などさえも過半損なわれてきている、(上の追記部にも既述の,当社設立当初より契約のサービス提供会社都合により)、転送が効かぬかさばる郵便物の類に関しては郵便授受できなくも「なった」、住所地として(登記地の方は)[よりもって空中楼閣がかってのおぼつかなさ]を(損なわれて)呈するに「至った」とのことがございます ―「さらに」に「さらに」を加えもしましての追記としまして (この部だけ2024年をもって急遽追記いたしたところとしまして)再述いたします。2024年下半期をもって表記アドレスは事情あっての完全失効を見、簡易的にもの郵便授受さえもができなくなり、それゆえに、[当社(代表)の郵便物窓口]は、別途、サイト内に記載のものをもっぱらに用いることにもなりもしました― )。

・最前まで長々と書かせていただきましたような事情もあることとし述べますが、今後、上掲の当社登記地住所の検索時、いかなる人物(あるいは企業その他団体)のプロフィールが表示されるようになろうとも、たとえ、その人物や団体・法人が当社(あるいは当社代表)を直接的ないし間接的に意識させるようなことをやっていようともそれは当社とは ―少なくとも良い意味では― なんら関係なきことであるとお含みくださるようお願いいたします (:従前、先行して試験的に公開してきたウェブ媒体にて「際立った式で」同様の憂き目(「どういうわけなのか」類似性を伴う劣化ページを「堂に入ったかたちで」不合理にも構築された「等々」との憂き目)に「都度」遭ってきたこともあり、これまた細々としたことながら申し添えなしております.に、つき、そういった[言論活動内容と関わりもしての誤解の発生をもたらすリスク要因]は登記地用に日常事業所として供するビルを出損大きくも借りるなどしようとも完全に避けることが出来ないものと見ています.そして、私としては ―当社や自身この身とは関係なき事柄も含め― 色つけの手法で言論活動の意味を埋没・陳腐化させるが如しのやりようが世にてよくも具現化していると観察し、深くも把握してもいる(とのつもりです).同じくものやりようの問題を思い知らされた、この身をして煩わさせてならなかった私的経験にあっての従前事例としては、です.自身が借りていたマンションがその住所検索時、[マンション他住民の宗教団体外郭政党代表応援ページ]とともに目立って検索表示されているとの有り様に際会、嫌な想いをさせられることになったなどといった茶飯的な筋目のことに「一面で」通ずる(筆致・気風からご理解いただけていることかと存じますが、私は学会員などではございません)ような[色つけ]のやりようが、唯一回ではない、(本段サイト内加筆修正部追記現時点に至るまで)積み重なるように自身展開のオンライン上のサイト(およびその取り扱い言論領域)周辺で[幼稚な(そして、ときに劣悪な)剽窃物の構築]との形態を伴いつつ具現化してきたとのことに際会させられてきたとのことがあります(尚、当社代表がLHC裁判(とのもの)を国内で戦っていた折、嫌がらせ電話などを頻繁になされ、その背景にも同じ者達の臭いがつきまとっていたとのことがあります).往々にして[そうしたこと]が起こる背景には勢威誇示(や敵対者認定した向きの排除)の意図、あるいは、[誤認識惹起]を情報(の検討素地)破壊のためにもたらそうとの[力学]の介在の問題、5W1H「だれがwho」「なにをwhat」「いつwhere」「どこでwhen」「どうしてwhy」「どのようにhow」に関する誤解(ときに軽侮や相互不信感)を見聞きした者らに与えるための(偽装さえ含んだ)マーキングをなさしめる人間関係にまつわっての誤認識、言論弾圧をこととする圧力団体や質的犯罪者などに帰属由来する相応の人間的特性/退歩性・悪質性がさもそこにあるように誤認識を抱かせる式で,システムが[色]を付けた相応の者らに対象の振り・模倣を(取り込むように)やにわに突如となさしめるようなことをなし遂せ,彼我の別を地をならすように曖昧として[情報]真価を破壊する)との[力学]の介在の問題があるのだろうと、経験上、考えるところでもあります― )

 以降、都度もってしてのサイト加筆修正表記を反映させての記述をなさせていただきます

 細々としたことに「さらに加えもしましての」細々とした表記となり記載なすことを自身一層悩ましくも考えているところとなる次第なのですが、当社代表は現今 ―(本段都度もってしての加筆修正部記載時現時点としての「現今」)― に至るまで公示の連絡先として上記登記地とはまた異なる「その他の」業務供与地として「これぞさもしき陋居(ろうきょ)なり.」との一時賃借の(いわばSOHOと位置づけての)住所地を当サイト内に公開してきました。そうもした従前ありようから方向転換をなし、(絶えず移動する者ながらもの)都度折々の代表逗留・物品保管供用の場の当サイト内記載をも割愛する方向に切り替えようとの方針が現今あるとのこと、ここ社サイトに、[責任の所在]にまつわるところとし、記載させていただきたいと思います。  に、関しては、大なるところとしてはコンテンツ頒布を阻む状況、そして、小なるところとしては人定(人となりの判断)に影響を与えうるような当ページの上の段に表記の如しの当方この身を不快ならしめざるをえなかった[色つけ]のやりよう「ら」がそれぞれに前進営為に対する間接・直接の重くもの障害のレベルにまで達していたことに[事業継続意欲]を阻喪させられたから「ではなく」 (ただし[情報の外力による封鎖さえ大なるところとして観念され続けたとの中 ―当サイトで言えば、自身がLHC裁判(とのもの)にかかづらわっていた折より(検索エンジンの出目を分析する)諸種事業者・法曹に相談することを強いられていた[「異様な」検索エンジン非表示性向]の残置継続が確認され続けていたとの中― 、他面、手前媒体および代表にどぎつい色(;[ほら吹き][神秘主義的漫談の徒輩]らの色、要するに、如何物(いかもの)色)がついているように「間接的に見せる」ような情報・やりようが、都度、「その背景奈辺にありや」と顧慮されたところとして(小なることながら)捕捉されていたとのこと「も」あるにはあります)、 専らには以下、表記のことらがあり、代表逗留実住所のサイト内表記を、一転、割愛させていただくことともした次第なのです。

従前サイト内掲載してきた,応対可能なる,代表逗留地の記載「すらも」当サイト内にはなさないかたちとしたいとの観点がありもしますとのことについて

[世相]とのものに応じて動かざるをえない[リソース(時間・労力・金銭)限られての者]として需要(;聞く耳)の動向について探針を入れ、また、いろいろと手を替え品を替えの水面下訴求活動をなし、[どの程度の物的リソース投下]が望ましいのか(反応を見つつ)計ろうとしてきたとの中、「都度」、経年で導き出さざるを得なかったところとして,

[当社活動に本格注力しだしても、に、対応する需要(;聞く耳)が世に「まったく.」といっていいほどに、現今、ない(;「検索エンジン検索結果で異様にコンテンツが表示がなされない」といった問題云々以前に「(当社が扱う)事柄がそもそも圧倒的過半の人間の興味関心の外であって関連領域の検索行為すらもがなされていない」とのことに通ずる状況である).
 そのため、(持ち出し・マイナス勘定は最初から相当程度覚悟の上ではあったが)、当社活動を通じての[情報到達の経路]の拡大再生産プロセスはマクロの環境として望むべくもない ―(一方で『人格特性について問題視する意味もない、[システム]が用意した、本質的思考能力などはなからない相応の筋目の者らによるやりようだろう』とは思いつつもの上記のような[色つけ]に都度何度も煩わされ続けたとの中)、有為なる[仕事]は現今、望むべくもない)― と判じることとなった. (広くもへの情報の流布とそれによる世の望ましき改変に通じうるとの判断があったために企図していたことだが)[余力をひたすらに注力しての当法人を通じての成果物供給行為]を商業活動・有償との式でなしても、それは(自身を包摂しての[種]の存続に資するととらえる)[社会改変の道標の構築営為]どころか[身ひとつの自縄自縛に繋がるだけのもの]となるだけだろう.]

との見立てを(当社代表たるこの身は)強くも導出してきました。
 そして、心底、むなしさを覚えてきたとの(水面下での)自身活動に伴うそうもした[(本質的な意味での)見通しの無さ]のため、遺憾ながら、根をはって、目的尽くで設立の会社の門構えをしっかりとさせる、当社にあって地に足を付けるとの必要「さえ」まったく感じることが出来ないとの想いを常にあらたにしてきました 。
 そういったありようが背景にあっての中、「要らぬ」自縄自縛を厭う、矢弾が限られたところで意味の無い戦(いくさ)をするのは(生き残る道が全くないところで抜刀するとの散り際を決しきる局面まで)避けたいとの合理的気質もあり、そして、また、頻繁に居所を替えるのを好むある種ノマド的な当社代表の定点定位置に留まりたくはないとの固有の性質の発露[その他]の事情「も」あいまって、(不特定多数・公道に対するその[門構え]に拘れば自身の時間やリソースが却(かえ)って拘束されうる)[事務補助供与地としての住所]については ―(従前からして「需要予測がゼロを導き出していた」との中、所詮はそれなりの陋居(ろうきょ)ではあったところながらも折々に代表が借り受け・逗留していた物件を記載していたとのところより一転させ)― 「当サイト内では」記載すらせず、代わって、同じくもの当サイト内にあっては[あらたに契約した法人名義の私書箱の宛先]を ―当社を通じての「[商業活動]の方は」(上掲事由より)実質停止させもしての中― 時限的に表記し続けるに留めさせていただくよう、以降、するとのこととした次第です」

 無論、電話にて直にお話しする機会があった方・郵送物授受のやりとりございます方々には自身が応対できる「その折々の」日常起居の場も兼ねての代表たるこの身の所在地 ―(まさに間借りの陋居たるものでありえ、恐縮なのではございますが、責任の発するところの所在地)― を、当然、お伝えさせていただくとの所存ではありますが、こちらサイト内では(今までのありように替え、)代表逗留の実態ある住所の記載の割愛を決することとした、実に遺憾ながらも需要(即:活動成果)を世に見出せずにもの中、同じくもの結を下すこととしたとのこと、何卒、(事情ご存知になられぬとの)ご関係各位にもご理解の程、宜しくお願い申し上げる次第です。
 に、関しましては、

「世には責任の所在・連絡先すら明確に定まらぬ、実態なきペーパーカンパニーが数多目立ってあるとの中で、そのようなもの(と誤解されるところ)であってはならない.休眠届けは出さず税金負担もきちんとしている(そこまでは当然に使命感からやらねばならぬといまだ考えている)との会社、先述の[目的]のために設立した社の代表として、最低限の節度として、[文責・言責の発するところ]だけはきちんとしておきたい、その点は曲げはしないつもりであるだから何時でも連絡がつくとの電話番号および(法人契約)私書箱たる連絡窓口の方を、(商業活動の方は停止しての中での非商用のものながら)、当サイト内に当然に記載する)

との方針は堅持するつもりです(尚、重要さとは無縁な非本質的なこととはなりますが、誤解を避けるために表記いたしますと、当サイト上で代表者連絡先記載をそちらにとどめることとしたとの私書箱住所は[(オンライン商取引もそれに該当する)通信販売行為の「実態ある」住所]とは「法的に」みなされておらず、そのことは当社代表も承知の上であります.法的ありようとのことについて言及しましたが、具体的には、通信・訪問販売行為に伴う悪質な行為を抑止,責任の所在を明確にすべくもの[特定商取引に関する法律(略記:特定商取引法)](の11条5号)との法律が、主務省令として、表示義務化している[事業者情報における住所]に[私書箱住所]は該当しない、ECサイト ―エレクトロニック・コマース(電子商取引)サイト― における通信販売時の(責任所在となる)事業者住所地として[私書箱]住所は法に適合しないものと一般にされている(法人事業所としての実態をなんら有さず詐欺的商品販売者による隠れ蓑とされうるためである)、そういうことがあります.に、対し、当サイトはもとより商品売買のために構築したECサイトではない、また、直上表記の通りの事由あって、当社は現今、「商業活動」の方はなんら行っていないとの状況にあります(もしなんらかの物品販売行為の体裁を前面に出して当社の名を騙る者がおりましたならば、代表宛に電話にてでもお報らせいただけますと本当に幸いです).そうもした[当サイトの非販売サイトとしての特色]・[商業活動停止中の社ありよう]より、現今の[代表者の非商用(私的)連絡先]としての私書箱住所表記は時宜に適っていると判断している次第です.また、「私書箱表記のアドレスに切り替えて商業活動の方の停止の無期限延長を維持するなどと明言すると法的保護の埒外に置かれるようなことになるのではないであろうか?[落魄した対象(法外人)への落ち武者狩り]との行為が日本では歴史的に数百年行われていたわけだが、碌でもなき者ら攻撃を「今まで以上」に苛烈に誘引するのではないだろうか?」と代表者自身思うところがあったのですが、代表が知人法曹より聞きましたところ、日本国刑法における[業務]の概念はかならずしも経済活動・商業活動にかぎられず、その意でも当社(での代表の動き)は、(思うところの前例も多数例あった)圧力団体あるいはその意を受けた相応の者ら ―(他の尊厳を平然とおびやかす「質的な」犯罪者、脳機能不全・生育環境(「育成プロセス」)らなんらかの要因による[情性]ないし[共感能力]の欠如者たりうると見ます)― にテクノロジカルな式で攻撃されたときにも当然に法的に保護されて然るべきものとなるとのことでした.(閑話休題))

 上のこと、何卒、宜しくご理解の程、お願い申し上げさせていただく次第です。

(以上ここまでをもって、よりもって格別に当社にご関心を抱かれた方におかれまして「のみ」内容ご覧いただければ、といった筋目の「実にくだくだしき」事柄についての(後の日にあっての改変を加えもしての)[付記部]となさせていただきもしました)


[当サイト内他セクションへの遷移部、その再掲としまして]

ここ本頁にあって申し述べもしているところの重大事について4巻構成のそれぞれに長大なPDF文書らを用意、それらの過半を割くとのかたちでの膨大な文量をもってして【第三者に容易に裏取り可能であるとの典拠】を呈示することといたしました。訴求者たるこの身の申し分についてその内容を批判する(あるいは『無視していいものであろう』との判断をなす)との観点にてでも直下リンク先よりダウンロード可能としておりますそちら典拠紹介のための文書らの内容を一考・検証いただければ何よりと考えています。

典拠紹介に特化させもしてのPDF文書はこちらより

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